情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

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だいたい昼すぎまで寝ていて、たいしたこともしないまま夕方5時になり、急いでLiSAのオンラインライブのチケットを買った。これはライブDVDとはちがって、4000円払って今日見ることに意味があるライブなんだ、という気持ちを高めるために、ピアノの前でパソコンを開いた。歌声に耳を澄ますだけじゃなくて、ペンライト振ったり踊ったり叫んだりして目の前で歌ってるLiSAとその音楽とひとつになる感覚こそがライブの醍醐味だから、自分の感じた音を鍵盤でアウトプットして音楽に参加しながら見たかった。

今日のライブ、実は一度も泣かなかった。でも、頬が熱くなって頭がぽうっとしてくらくらするような高揚感があった。視界が赤くて画面外の景色がなにも見えなくなり自分がピアノを鳴らすのもやめてしまった数分間があって、もうこの感覚だけで、ぜんぶの価値だった。

それから、野間さんのピアノをみていて、腹がきまった、というか。やるぞ、のモードになっている。心の奥底のみえないところで決断がおきた気配がする。

しかし途中で帰宅した父が声をかけてきたり母が電話をかけてきたりねこがこっちを明らかに気にしながら部屋をチラチラ出たり入ったりするので、視聴環境としては最悪だった。LiSAに視線を注いでいる間はまわりの空間との協調はなくて、自分が見ている世界の中だけに埋没していて心が裸の情緒だだ漏れのただごとでない状態だから、しらふの他人が干渉してきたりするのはかなり嫌だった。でも、わたしのピアノごしにLiSAの曲を聴いていた父は「それLiSAの?ぜんぶいい曲じゃん」と言ってくれて、自分が直接褒められたとき以上にやっぱり赤面した。

ライブがおわったあとはファンクラブのアフタートークを見た。わたしは父が分けてくれたビールをのみながらで、画面の中のLiSAはシャンメリーだった。セトリの意図とかいろいろお話ししてくれたけど、そういうのはLiSAの楽曲ぜんぶ知り尽くしていてLiSAのアイデアの着眼点も発想も思考回路の感じもそろそろ察しがつくようになってきている私にとってはおおよそ推測できるものだったから「伝わってるよ!!!みんなに言わないでわたしとの秘密にしていて!!!」の身勝手な気持ちがあった。

もちろんライブのMCも好きだけれど、やっぱり喋ってるLiSAよりも歌ってるLiSAがとにかく好きで、それはLiSAの歌の表現力が高すぎるゆえだと思う。ラジオとかでファンに向けて喋っているときには、魂の核の周縁部分、防御の方法や生存戦略の部分が多く含まれていて、それについて考えると時々遣瀬なくなったりもするけれど、ステージには混じり気のない核がそのまま乗っかってる。歌詞を読んで歌をきけばぜんぶわかる。想いの熱さ愛の大きさエネルギーの大きさ表現へのスタンス誠実さ本気さ欲深さ慎み深さ!そう特にわたしには、歌声のなかでチャーミングやセクシーや丁寧の隙間で飢えた虎が暴れ回るさまが、ほんとうに希望のように見えます。

 

もうこのライブを見たというだけでぜんぶオッケーなので、あとは余力で、なぜか造花をカゴに生けて玄関を飾ったりした。それから野間さんの太くて簡単に鍵盤を覆い隠せる腕と、私の、鍛えてもなお細くてよわそうな前腕のイメージから繋がって、家にありながらずっと放っておかれていた体組成計を使った。数字を出してみたはいいけれど、どう筋トレに役立てればいいのかはいまいちわかっていない