情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0504

昨夜は全然眠れなかった。せっかく早寝したのに2時間ほどで起きてしまって、それからはどんなに目をつぶっていてもとうとう4時間以上眠りにつけなかった。こんなことは自分には全然ないことだから、対処法もわからなくて苦しかった。祖母の家だったことも、母と同じ布団だったことも、祖母の家が模様がえしていつもと様子がちがったことも、寝具と寝間着があわなかったことも、ぜんぶ影響していたと思う。

引越しのためのことをやって、合間に読書をした。読書なら、細切れに時間が取れる。

まず部屋の全体に敷くためのカーペットを買いに行った。椅子なども買った。それであっちこっち移動して、最終的にカーペットを新居に敷いて、新たに部屋のいろいろな箇所の寸法を測ったりして、収納のためのものをアマゾンと楽天で注文したりもして、さらに段ボールに本全部、衣服と食器以外の部屋のものおおよそを詰めて、実家に帰った。ものすごく忙しかったしよく働いた。その合間ではずっと本を読んでいて、今日で一冊読み切った。

日付がかわり誕生日をむかえたときは、ねこにちゅーるをやっていた。その後もあそびをねだられて、LINEをみるよりねこと遊ばされていた。弟が最初に誕生日について言及してくれた。母とは半額になってた鯛の塩焼きをまるごとたべながら酒をのんだ。ねこもほしがったので味のないとこをいっしょにたべた。

0503

実家にかえると、風がいいにおい、と感じるし、体調がよくなる。空気がおいしいってこういうこと?ばかみたいだけど、生まれ育ったところの空気を吸うと元気になる。

一応ゴールデンウィークなので叔父や叔母も仕事が休みで家にいて、顔を見せに行った。庭の藤はもうぜんぶ散っちゃってた。

美容院に行った。色は美容師さんの気分で決まる。カットで形を変えてもらったのが気に入っている。髪がちゃんとなると、おしゃれ、適当に生きないこと、いろいろ気合が入る。

概ね読書をしていた。スロウハイツの神様上もデミアンも読み終えた。

デミアンがとにかくすごかった。これは、ずっと大切にしたい、でも、恐ろしい本!わたしの知っている戦いや孤独や葛藤について、ここまで精緻な表現であらわされている、文学ってすごい、

読んだ後、すこし息をついて、自分のあれこれに照らし合わせてたくさん考えたことをメモした。わたしの秘密の夢を、守り抜き、確信を信じ、自己自身に到るための旅を続けること。それから、そのときの同胞のこと。

「やさしさに包まれたら」の歌詞にずっと「共感」していて、あの歌ってだれもそういうふうには聴いていないけど、ずっとあそこで歌われているものへの「共感」があって、それのことをすこしだけ思い出した。あれは、世界の真実だと思う、簡単にメロディに乗せてはいけないぐらいの、世界の真実!霊性、祈り、信仰、が戻ってくる、やさしさに包まれた朝の一瞬のこと。なんとなく聴いていると「目にうつるすべてのことはメッセージ」だけが結論のようにわかりやすく飛び込んでくるけど、それが別の意味を持ち始めませんか?

0502

予告通り午後までたっぷり寝た。とにかく今日いったん実家に帰らないといけないから、すべて間に合わせなきゃ、と必死。ハンバーグがどうしてもつくりたくて、でも実家に帰るからそんな時間はなくて、最寄りのガストに駆け込んでハンバーグを食べながらハンバーグを作るところを想像した。

仕分けの終わらなかった紙類はぜんぶ実家に持ち帰ることにした。実家では母と酒を飲み、ねこと遊んだ。いろいろやりたいことがあるのに、ねこが「遊べ」のメッセージ(仁王立ちでこちらを見てニャーーーと鳴く、近寄ってきてわざとらしくおもちゃをチョイチョイ)をしてくるから、負ける。わたしばっかりねこと遊んでいるし、どうもねこのほうもわたしのことを遊び要因と認識しているよう。ねこの都合に合わせてねことあそぶ、というのは、自分の時間の流れよりねこの機嫌を優先することで、それなりに時間も気力も注ぐ、でも、それをねこのほうもちゃんと理解してくれているんだなーと思うことが、しばしばある

0501

なかなか1日が始まらなかった。少しずつ生活を回す。ねこが雷におびえているらしい。夜に電話の予定ができたから、それに照準を合わせてなんとか進めた。引越し準備はまだまだ手付かず。

いつもわたしが誰かと喋っているのを極端に嫌う隣人が、すごく珍しく電話かなにかしているようで、爆笑の声がうっすら聞こえてきた、なにより!わたしも気兼ねなく、最後の電話させていただくよ!という感じでやった、

夜明けまで6時間ぐらい喋った。今回はぜんぶが過ぎ去ってしまう話じゃなくて、いくつかの話題、瞬間、テンション、声音をちゃんと覚えていられている。ほんとうに他人を分析理解しようとしない、していてもそれを見ないようにしている、としたら、それはとても稀有なことにみえる。わたしは彼女のなにも考えていなさそうに見せようとするところも、他人よりは自分のことを見ているっぽいところも、ときどきちゃんとやわやわのところをひらいて出してくれるところも、イイな〜〜!!!と思う。いや客観的なイイなではなくて、もっと、わたしのこだわり、発見、偏愛の、好き!

さいきん、好きのことを信じている。親しんで育んでいった好きではなくて、最初から、またはある時から急に、理由もわからずこだわって惹かれてしょうがなかったもの、のことは、信じなくちゃいけない。なるべくして交わり、この先もそうなってゆく、そういうもののこと、デミアンのせいかしら、

0430

自分を飼い猫と同一視しているので、変な時間に寝たり起きたりきちんと生活やれなくても大抵のことは許せる。

朝の授業にちゃんと出れなかったし、郵便局に行くのもやれなかったけど、LiSAが表紙の雑誌だけは買っていった。

 

今日は学校の練習室を借りていた。結局予約した2時間の中で最後の30分と、超過した30分しかいられなかったけど、そういうことをちゃんとやったのがえらかった。本当は弾きたい時に行って弾く、がいちばん合っているしそれしかできないから、それができた前の時代はよかったな、でもなんでも予約の世の中だから、ちゃんとできるようにならないといけないんだ。とりあえずその「場」をつくる、無理やりにでも機会が巡ってきてしまう、そこでさて何を弾こうかと考える、というやり方がいいかもしれない。

 

今日は友達と待ち合わせをしていた。あまりにも暑くて、途中でちいさいコーラを買って飲んだ。3口でいらなくなって、やっぱりコーラはあんまり飲むもんじゃないとおもう。友達は大学の門の前でうずくまるように小さくすわっていた、どうでもいいことだけど「っぽさ」だなーと思ったから覚えておきたかった!そういう人をほかに大学の門で見たことがないし。

夏の縁側みたいなごはんやさんでお昼ご飯を食べた。おなかはすいていて、ごはんは美味しくて、玄米茶はつめたくておかわり自由で、その店の赤ちゃんが下の階でなにか声を出しているのが遠くできこえて、いい時間だった。友達とは、こうして大学という同じソーシャルの話を共通してできるというのがとにかく嬉しかった。

 

話し足りなくて、喫茶店に移動した。古い風情のある喫茶店で、だからなのか、みんな喫茶店という場所に見合ったふるまいをしに、わざわざやってきている、という感じがして滑稽だった。必要以上に煙草を吸い、みんな揃って片手に本を持っていた。それも、新書や文庫本ではなくて、できるだけ分厚くてカタカナが多くて難しそうにみえるやつ。でもよいことだと思う、ゲームや漫画が好きな叔父がよく「俺は電車の中では絶対本を読むんだ、その方が賢そうに見えるから!」としきりに自慢していたけれど、それでもやっぱり動機がなんであれ、結果的に本を読んでいるならすごくいいな、と思っていた気がする、、。とにかく、みんなが選りすぐりの本を持ち寄って、煙草を片手に、「喫茶店にいる自分」をプレイしにきている、そういう文化じたいがおもしろいなーと思った。

 

好きな人びとからいっせいにLINEがきていて通知が埋まっている、でも返せないまま!

 

いま読んでいる百合ラノベ、やたらみんな顔で恋を始めていて、そんなことは自分にはないから不思議だ、

顔っていうのは、その人自身の印象が結び付けられた表象で、キャッチーだし、アイコンみたいなものだから、好きな人のそれは何度も思い出すし、それをみると反射的に恋愛感情が喚起されるのも自然なことで、それの繰り返しのなかで顔がみょうななじみ方をしてくる、ということはよくあるし、だから好きな人の顔なんてもちろん好きにはなるわけだが、相手の好きなところはどこだろうと考えた時に、まず顔だ、あとはうーんなんだろう?となっている描写が何回か出てきて、まったくこの作者は、ろくな恋愛をしていないのではー?という気持ちになる、それに好きなところは?と聞かれてまず「顔!」と臆面もなく言えるのはどういうことだろう、そういう価値観?倫理観?をわたしが過剰に禁じすぎているのもどうかという話だけど、みんな世の中ってそういうもん?

0429

夜明けから昼過ぎまで眠った。眠れないという状態はわたしにはなくて、自主的に眠らないということだけがある。

最近は現実でやったことがないぐらいブチ切れたり、ずっと気にかかっているあのことを誰かに話したり、全体的に嫌な心象の夢ばっかり見ている。

 

教科書の英文を90分かけて和訳しなさい、という課題の締切が2時半ごろだったことを思い出し急いで取りかかったけれど、たった6文しかなかったので拍子抜けした、それもそんなに難しくはなく、15分くらいで終わった。こんなに簡単な問題を解いているなんてきっとわたしだけだから高校時代の英語の先生には絶対言えない。

 

引越しまで10日もないというのに、まったく普通の部屋・生活の状態でいるのはさすがにまずい、と思い、少しずつ荷物をまとめることにした。めったに使わない、から触ってない、紙類を束にして積み上げてあったエリアを突き崩して、半分ぐらい処分したり、必要そうなものをまた積み上げたり、ということをした。

その中でこれまでずーっと長いこと書いてきている日記たちを読み返したりした。日記というのはいちばんの自己愛の行為。人に隠れて日記を書いて、それで自分を癒してきたし、それを読み返すことで自分を抱きしめてきた、

プリ帳、も発見して、それを眺めたりしているうちに1日終わってしまった。プリクラをめったに自分から撮ろうと言わないたちだったから、相手がプリクラ撮ろうと言うタイプの子とのプリクラがたくさんあって、それをみることでその日のことを思い出すから、そういう子との思い出ばっかり残るんだなと思った。わたしはそういうことをちゃんと記憶するから、また毎日のように誰かと遊ぶことはなかったから、プリクラを見れば、この日にあのシャーペンをお揃いで買ったなとか、あそこまで歩いて行ってアイスを食べたなとか、フードコートでなぜか天津飯を食べたなとか思い出せる。仲良しだった子だけじゃなくて、そんなに仲良くない、でも嫌いじゃない、なんなら仲良くなりたい、ぐらいの子と、だいすき!!!みたいな感じを出せる、そういうごっこをできる、っていうのがプリクラ文化のいいところだった。誰と撮っていようが、プリ機側はこちらをマブダチ扱いしてきて、そういうポーズや表情やデコレーションを要求してくる。そういうことは自撮りアプリとかにはない。

ここにはないけど、むかし彼氏?ということになっていた人、とのプリクラが、実家の机のはじっこにあるのを思い出してしまって怖い。あれを見てどういう気持ちになればいいのか。流されるまま、相手と規範とに流されているだけだなーと当時ですら思いつつ、でも流されなければいけないからそうしようという感じだったし、だからあんまり自分のこととは思えない、でも自分の記憶としてたしかにあるし、うーーん、となる、あれを自分ひとりだけで見ているのは居心地わるくてしかたないけど、グロすぎてひとには見せられない、

人生のA面B面のことを考える、

0428

たくさん眠った。生理前は10時間寝ないと起き上がれない。途中で一度宅配便がきて、寝ぼけたまま荷物を受け取った。文庫本たった2冊のためにその5倍くらい空気をつめてわざわざ段ボールで配達するなんて、ちょっとありがた迷惑だ。

3限の授業はそれなりにモチベーションがあったのに途中で2度も電話がかかってきて中断されてしまったのが嫌だった、でもどちらも、金振り込んでないとか不在配達とかそういう類の電話で、自分がだらしないせいだから文句言えない。

好きな服を着たし、髪もメイクも比較的うまくいって、気分よく家を出発した。

しかし4限は学校についてからオンラインだったことを知った。MaxもZoomもどっちも不具合で全然授業についていけずしんどかった。先生も誰ひとり取り残されないように変に配慮して面倒をみてくださるから、余計にしんどい。結局先生が1時間かけて教えていたことを同期がラスト15分ですべて説明しなおしてくれて、それが死ぬほどわかりやすかったのでなんとかなった。

5限の授業は80年代の音楽とお笑いを中心とするカルチャーについての講義で、目が覚めるような気づきをいくつも得た。講義形式の授業も、対面で受けるからこそ拾えることがたくさんある、そういえば座学が多い1年生のときとか特にそうだったな、いろんな意味であんなふうにはもう戻れないのだろうから、私の「大学っぽい」大学生活は、実質1年しかなかったことになる。

わたしにはお笑いへのコンプレックスがある。笑いに乗っかるってそもそも、普通とか常識とか前提とかを採用しないと不可能なことだ。笑いを生み出す側はそれを知っていてパフォームしているわけなので、同族のくせに!全然ありうる話と思っていることを「馬鹿げているよね」としてプレゼンテーションしていること、わたしは知っているぞ!となり、自明のように馬鹿げていることだと思えない、レールに乗っかれない、だからストレートにワッハッハと笑う群衆の一部になることはできない、でも構造として見事なので好き、という状態に陥ったりする。

そもそも観察者というものは、お笑いでは笑うことができないのだ。共感(?)と笑いは同時に存在し得ない、とベルクソンも言ってた。いや「共感の笑い」というのも存在するがそれはいわゆるユーモアとは別のもの。

わたしがお笑いで笑うことができるのは、お風呂上がりの寝巻きと濡れた髪、気の抜けたリビングでだけ、という感じがする。そういうタイミングでなら、ぜんぜん、たくさん笑う。

 家の前のタピオカ屋でパンケーキみたいなものを買って帰り、今日届いたLiSAが表紙のAERAとかを眺めながらそれを食べた。

引越しのために紙類を整理したり、唐突にピアノを弾きだしたり、DAWソフト開こうとしてみたり、気になる映像を見たり、新しい本を読み始めたり、毎週聴いているラジオをきいたり、思いつくまま、そのときどきの感情に合わせて好き勝手になにか始めたりやめたりして、こんなふうにひとりあそびをするように暮らすのはたのしい。ただ、音楽をスピーカーで流しながらヘッドホンを繋いでキーボード弾いて歌ったり踊ったりしていたら壁を叩かれたので、このとき初めて、ああ早く引っ越したい!という気持ちが芽生えた。

計画性がないので、風呂上り、部屋着、まだ髪が濡れている状態で、夜中の1時に自販機に飲み物を買いに行った。夜風は死ぬほど気持ちいいけど、夜道は死ぬほど怖い。なにかあったら、どんなふうにキチガイのふりをするか、と脳内でシミュレーションしながら歩いているし、追われて帰ってきたときにすぐに家の中に逃げられるように、こういうとき鍵はひとつだけしか閉めないで出かける。

自分の日記を読み返すのが何よりも面白いから、意地でも毎日なんか書いてる。