情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

220720

8時台に家を飛び出して電車に乗った。まだ暑すぎず、夏休みの匂いがそこらじゅうにしていて心ばかりが弾むものの、やけに足が重い。たまにはシールや入浴剤みたいな不必要なものを買ってみようと思うが、何をみてもひとつもおもしろくないことにショックを受け、意地になって要らないものだけをいくつか買った。欲しい本は買っていない。金がないしキリもないから。一番必要なはずのUSBハブも買っていない。こちらは選ぶのが面倒だから。たっぷり働いたせいでお腹が空いて、勢いつけて食べ物を流し込んだら腹が痛くなり、呻くしかなかった。

 

○紙パックのアイスコーヒー麦茶感覚でガブ飲みしちゃう

○夏休みのしおりに「午前中の暑くないうちに勉強を済ませましょう」と書いてあったのは常識の範疇だが、それについて「近頃の夏は午前中でも暑くない時間帯なんてないよね、そもそもずっとクーラーつけるし外気温は関係がない」みたいな意見が出ているのもまた常識の範疇である

○とはいえ朝9時前の日差しは「これから」を予期するような波動が出ていて、刺激は弱く熱だけがあり、やはり今でも夏の気候に朝とか昼とかは存在する、と感じる。

○怒られたくないという気持ちと怖がりたくないという気持ちのバランスをとり、緊張感を保つ

○インスタのゆめかわキラキラガジェット界隈みたいなのは良い。女の子文化の反乱。

○それはそれとして、どうして女のための言葉にはいつもキラキラをまぶすのか。誰が誰のために?

○セルフプレジャーという言葉、欺瞞に満ちていて逆に恥ずかしくないのか?(とはいえポルノみて棒を擦る文脈が深く染み付いた言葉と同じくするのも癪だね)

○ルポ女風を読んでいてもそういうことを感じた。だいたい地の文がキラキラしすぎて目眩がする。

○文章の時間的方向における感覚的快は、だいたい「リズムの良さ」という言葉で語られるけれど、リズムではなくテンポが良いということもある。太宰の短編を読んでいて思った。

○それと関連して、映像的な美が内在する文章、というのがある。それはどういうことだろう

SNSは即時的快楽装置。ボタンを押すと少量の甘い蜜が出る。深く潜るためには、その誘惑に負けてはならない。

○投薬なしに時間の切れ目をいかにして作るか。手拍子などが有効かもしれない。パルス?少し不快すぎるのが難点。

○最も尊敬する人は両親、というやつ、捻りがなさすぎる。台本ならばもっと凝ったらいい。家族を大切にすることや家族をしんから愛することと、両親に感謝することと、家族を「最も」「尊敬する」ことはまったく別である。人生において最古かつ最小のコミュニティの中に一番目指すべきゴールが与えられていたのなら、それは結構なことだね

○あまりに寂しいので、作業するパソコンの脇に、小窓を設置している。小窓とはSwitchの画面のことで、中に映るのは勇者リンク。休憩のたびに草原や馬宿、祠へと避難しながら、ゾーラの里からリトの村を目指す。小窓の中には、星が出て朝日が登って雷が落ちて、というもう一つの時間軸がある。

○最高に居心地のいい穴ぐらで暮らしている、という感覚がある。

○ものや環境を眺めて充足したい。食べるより先に皿の上に乗っている食物を眺めて幸せを感じる、という人のように

○「オートロック、というのは、どこにも住んでいない、という錯覚を起こさせる仕組みである」らしい。確かにアパートに住んでいた時は、布団の中もベランダも商店街もコンビニも境がなかった。その自由さに解放を覚え、やがて疎外された。

○しかし/やはり 私は街に生えているタンポポの葉を食べる必要がある。