情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0311

今日はおでかけなのでいつもに比べるとすごく早く起きた。これからバンジーをとぶ、という有り得ない予定があると思うと不安でクラクラするから、とりあえずぴゃぴゃと支度をして、るんるんで駅までおともだちを迎えにいった。今日もお茶をふたつもってきて「どっちがいい?」をしてくれたのがうれしい!近所の道からくねくねの山道を通ってマザー牧場にむかった。菜の花がいちばんいい時期で、西の斜面を覆う黄色と快晴の青がまぶしかった。

 

ジャンプ台は下から見上げても相当高くて怖いことがわかったけどわたしの逃避癖は相変わらずで、もうすぐ飛び降りるんだということに対していまいち現実味がなかった。ドキドキして吐きそうになりながらももう誘導は始まっていて、意思に反して体は流れに動かされ、チケットを買ったりサインをしたり荷物をロッカーに入れたりハーネスをつけたりしていて、とうとう後戻りできなくなっていた。その間、心はしんでいて、わたしたちは適当な冗談をとばしたりしていた。わたしたちの前に数人チャレンジャーがいたのでそれを見ながら具体的なシミュレーションをできるのはありがたかったものの、彼らがみんな飛びながらワーとかギャーとか言ってるのを聞いていると不安を煽られた。

やがてすぐにおともだちの番が来た。あの緑色の階段は自分でのぼらなければいけない、ほとんど処刑台へ向かう足どり。一度目の掛け声とともに、雲ひとつない真っ青な空の中に落ちてくるすがたを下から撮影していて、ラピュタ?とかしか考えられなかったけど、その時点のわたしには到底できそうもないことを成し遂げて帰ってきたそのすがたが、マジでかっこいいすげえよ、の頼もしさのキラキラだった。

ひとことだけ交わして今度はわたしがジャンプ台にのぼった。よく陸上大会のスタートラインでやっていたみたいに、足をガリガリ引っ掻いて、心臓だけじゃなくてちゃんとここに足があるぞ、とたしかめてから、ウォーミングアップのときみたく小走りで階段を駆け上がった。山々と海が見渡せる高さにもはやドン引きしつつ上についたときにはかなり息切れしていて、呼吸のことしか考えられなかった。なんだかお兄さんが説明してくれていたが、呼吸のことしか考えていないのでよく分からないままもうてっぺんの先っちょに立たされていた。この期に及んでも、私はまだ「本当にこれから飛び降りるのかなぁ」ぐらいの感覚でなんにも信じてなかった。飛ぶわけがない、いや飛ぶことになってるらしい、マジで?本当に何分か後にはそういう状態になってるのか?ありえん、とゴチャゴチャ思いながら位置を微調整していたら、絶対やっちゃいけないのに下を向いてしまったりして、スタッフのお兄さんに「怖いんですけどどうしたらいいですか!?」と聞いて時間稼ぎなんかしちゃって、いやこれ以上ゴネたらさすがにダサいぞ、それに早く地上へ降りなきゃ先に飛んだ子と興奮をわかちあえない、と思って、飛び降りた直後のともだちの言葉なんかが妙に蘇ってきたりして、ハイじゃあもう大丈夫です!お願いします!と勢いで言っちまったら、あとはもうタイミングがきたらそれに従って落ちるだけだった。

おおきな気づきだったのは「よし!飛ぶぞ!」みたいな決断の瞬間は一度もなかったこと!飛ぶの信じられんと思いながらも心の底の部分で飛ぶんだろうなあ、そういう方向の流れの中に、降りられない列車に、既に乗っているぞ、という潜在的な意識がまずあって、次に、準備もできてないけどとりあえず「やります!」と宣言して突っ込んでっちゃうのが大事。

しかしあのカウントダウンがなかったら、誰もいつまでも飛ばないんじゃないかと思う。リズムのちからがめちゃくちゃデカい。リズムと重力には抗えないということ!

初めて!の感覚や成し遂げた!の感動をわかちあえるのは、うれしい!

 

たくさん動物がいたけど、全部ねこ基準で手触りやにおいや大きさを測って驚いていた気がする。うさぎはねこと同じかそれよりもやわらかかった。ミニブタの大きさとうちのふとったねこの大きさは同じぐらいだった。ヤギは毛がごわごわしていて羊はしっかりしていて、牛はものすごく大きくて固くてつよそうだった。モルモットはさわった瞬間にビク!としてすばやく走り出すのでおもしろかった、拒絶されてもちょっかい出そうとしちゃうのはねこに慣れてるせい。連れのおともだちはこぶたのレースを見ても羊の大行進をみても大爆笑していて愉快なので、わたしもたのしくなる。

そのあとは、なんだかデートスポットとされている海と夕焼けと公園の橋に寄り道したり、わたしのいちばん好きなラーメン屋さんに連れまわしたりしてわたしは終始るんるんの1日だったキラキラを保存しておきたい〜

 

あれから10年の今日をふつうにたのしく過ごしてしまったことに罪を感じますが、あの小さかったころに当たり前の日常が突然なくなるんだということを知って以来おおよそ毎晩、お祈りをしています