情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0404

午後から父と南房総方面にドライブに出かけた。父は勤勉で神経質な人間で、ふらっと外に出るということができない、ちょっとした外出でも大仰に準備をととのえないと落ち着かないらしく見える。たぶん、仕事とパチンコ以外のことをできないのは、ルーティン化の外にでるイレギュラー行動が苦手だからなんじゃないか。

なんでも好きな曲を流していいよ、と言われたけど、まえに中村佳穂をながしたら「むずかしい曲ばっかきいてんだね」と言われちゃったことがある。わたしはただ、星野源をききながらなんとなく空間にゆれていればよかった。星野源、ごきげんなメロディに乗せて唐突に歌詞で人をぶっ刺して傷つけてくることがあって、憎いな。だったら善人面しなきゃいいのに!

 

ローズマリー公園にいってみた。鴨川のもうちょっと先。小さい頃に来た記憶とずいぶん違うな、思い出が美化されているだけかな、と思ったけど、どうやら施設そのものが変わったっぽい。名前も「道の駅・ローズマリー公園」となっていて、見た感じの雰囲気も、房総の至る所によくある道の駅に謎の洋風建築とガーデンスペースが併設されている、異様なキメラといった感じだった。案内マップにあるはずの風車は数年前に取り壊されたと店員さんが教えてくれたし、シェイクスピアの生家という建物の中で中国物産展がやっていたし、いろいろめちゃくちゃなところ。端から端まで歩いてみたけど、とにかく順路が入り組んでいて地図がまったく把握できない。あったはずのところが削られたり、削り取ったスペースに駐車場と道の駅が設置されて、まったく秩序が変えられてしまったりしたせいだと思う。

家に帰ってからいろいろ調べてみると、南房総のレジャー施設だったものがある時から「道の駅」扱いになっているケースが多くて、きっとそういう政策がおこなわれたってことではないか。ギリギリの生存戦略として!ローズマリー公園の掲示物にも「南房総の道の駅めぐり」みたいなのが推奨されていた気がする。かといって、スタンプラリーがあったり割引があったり南房総道の駅マップが配布されていたりするわけでもなく、そういうフォーマットは提示しないで、あくまでも客の主体性に任せた「道の駅めぐり」ってこと、そういうゆるさからお金とやる気のなさが垣間見える。

展示をみているとシェイクスピアローズマリーに関連があることはわかったが、じゃあなぜ南房総ローズマリー?と思ったのだけど、「丸山町が地中海と同じ緯度にあるから」とのことらしい、?シェイクスピアの展示はけっこうおもしろくて、当時の劇場の様子を再現したジオラマはみごとだったし、展示もきちんと知識を提供してくれていた。綺麗な多目的ホールもある。しかし「道の駅」と言い張らなきゃ生き残れなかったことからもわかるように、こういう文化施設、田舎にあっても全然意味ない、だれにも見てもらえない!今までだって、南房総のいち休憩スポットとしてしか紹介されてこなかったし育ってこなかったと思うので、勿体ない気もする。

天気雨のなか庭園を散歩して、中国物産展でキラキラのリングをひとつ買った。おばちゃんが話し上手だったから。

 

車で移動中は、点在している道の駅やちょっとした観光スポットを車の中から眺めてただ通り過ぎた。そのなかのいくつかは、入試の自己表現のときに撮影につかった場所だった。たった2年前といえどすごく遠くおもえる。

なにもすることがなかったので、荒れた薄青の海に近づいた。父は若い頃から真面目ではないので、立ち入り禁止っぽいところを乗り越えてずんずん進んでしまう、わたしも取り残されるのが嫌で、一歩一歩ブーツを砂浜に埋め込みながら、ロープを乗り越えて進まざるを得ない。やれやれの気持ちで、父はいつもこういうことばかりするが、そういう時のことだけは、ちょっと好きかもな、と、懐かしくあたたかい気持ちになった。

海はねこと同じで、ただそこにあれば、いいな、と思う。それを見ているだけでいい。そこに見えて、世界の中にちゃんとあるんだな、とわかることが重要。それをするためだけに、ときどき海を見に行きたくなる。わたしたちは海の存在を定期的に確かめなければいけないの。

 

帰りはわたしが運転をやった。途中で鴨川の寿司屋に寄って、おいしいお寿司を食べさせてもらった。ほんとうにほんとうにおいしかったのに、親にすら、なにか外で奢ってもらうというのが本当に苦手で、金額のことばかり考えて泣きそうになってしまう。でも、わたしは父の性分を知っている、とにかくただ遠慮なく食べて、美味しいと心の底から言うことが、いまのわたしの役目だ、そして家に帰ってから、母のつくった鍋をまた美味しいと言ってたくさん食べることが、わたしの義務なのだ、

おいしいお寿司屋さんにいるのに、コーンがいちばん好きな寿司だと言っている父が本当に哀れで、かなしかった。いつも父のことを笑えない、笑うには距離が必要だから。ただ可哀想なのを、ただ見なかったフリしてやりすごしている。

 

ねこといられる最後の夜なので、思い切り夜更かしして、日本酒のみながら作業をした。足にねこが寄っかかって寝ている。ねこは寝ているとき、からだがどこかに触れていると安心するらしい。レム睡眠中のピクピクが足に伝わってくるのもいとおしい。寝て、起きて甘えて、ちょっと遊んで、おやつあげて、また寝て、を朝方まで繰り返した。