情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0516

昨夜、実家に帰ってきて、ねこと遊び、昼までたっぷり眠った。実家にはおもにねこのために一瞬帰ってきたようなもので、特に他に何かしたりはしなかったし、する余裕もなかった。

渋滞を避けるため、ということと、父母がこっちで買いたいものがあるから、ということで、早めに家を出た。北千住で買い物するとかは私にとってはいつでもできることだけど、とにかく思考と決断を放棄して親のペースに乗っかっているほうがこの場合楽なので、車の中で一冊本を読み終えたりして過ごした。それに、父などは特にこういうことでもなければ外に出てくることもないような感じなので、大袈裟に時間をかけて準備しているのをみると微笑ましさすら感じる。いつもこういう機会に、父母はあれやこれやと世話を焼いて私のための食糧を買ってくれるのが、とてもありがたいし申し訳ない。わたしは両親にいまだにかなり赤ちゃんだと思われているし、というかそう思いたがっている様子が見て取れる。親とはそういうものなのだろう、と思うことにしているけれど、人並みに「それぐらいのことは自分でできるよ」という反発と「そこまでしてもらって申し訳ない」の肩身狭さに苛まれることはある。ただそれでわざわざ扱いを変えてもらおうと戦ったりはできない。傲慢な考えかもしれないけれど、子供を愛するよろこびと、子供を世話する親としてのアイデンティティを奪いたくないのだ、それを奪って釣り合うような何かを提供できるような社会的地位にまだわたしはいないから。