情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0903

余計なことまで言ってしまった。気がする。相手に伝わっているのだという確かな実感がなく、壁打ちスタンスのコミュニケーションをやってしまった。相手からしても普通に、誠意とか気遣い?足りてなかったはずだ。弁解の機会だってベクトルは未来に向いている。私はその場において全力で降りようとしているにもかかわらず、やっぱりギリギリのラインで私が女の子でいなきゃいけなくなるっていうのはきついな。人間対人間という感じでニュートラルに話し合いができるという喜びと、無性でいられるような居心地の良さとは別のもの。相手が信用できる思想を持った人間であるということと、「委ねられる」の意の信頼も別のもの。最後の誇りとか聖域を、この人にはぜったい理解されてたまるもんか、みたいな気持ちと、この人には土足で踏み入られたい地雷踏み抜かれたい弱みを握られたいみたいな気持ちと、その違いはなにに根ざすのか?こちらのスタンスとして、その人の前で安心して性別を解放できるか、性別を封印しようとするか、という境界があって、それは信頼とか好感度とか親密度とか相互理解度とかと相関関係がまったくない。この人には甘えたくない、とか、この人には女の子として扱われたくない、みたいな感情が生まれたときそれはものすごく強烈で生理的ななにかなので、泣きすぎて吐きそうなときのあれににた震えをおぼえます。負けたような気持ちになりたくないとか、屈したくないという感情だけで、好きではない人とキスをしなくてはならないときになんでもないことですが?ってして勝ったつもりでいるみたいな倒錯がありますが、たぶんそれも同根とおもいます