情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0429

夜明けから昼過ぎまで眠った。眠れないという状態はわたしにはなくて、自主的に眠らないということだけがある。

最近は現実でやったことがないぐらいブチ切れたり、ずっと気にかかっているあのことを誰かに話したり、全体的に嫌な心象の夢ばっかり見ている。

 

教科書の英文を90分かけて和訳しなさい、という課題の締切が2時半ごろだったことを思い出し急いで取りかかったけれど、たった6文しかなかったので拍子抜けした、それもそんなに難しくはなく、15分くらいで終わった。こんなに簡単な問題を解いているなんてきっとわたしだけだから高校時代の英語の先生には絶対言えない。

 

引越しまで10日もないというのに、まったく普通の部屋・生活の状態でいるのはさすがにまずい、と思い、少しずつ荷物をまとめることにした。めったに使わない、から触ってない、紙類を束にして積み上げてあったエリアを突き崩して、半分ぐらい処分したり、必要そうなものをまた積み上げたり、ということをした。

その中でこれまでずーっと長いこと書いてきている日記たちを読み返したりした。日記というのはいちばんの自己愛の行為。人に隠れて日記を書いて、それで自分を癒してきたし、それを読み返すことで自分を抱きしめてきた、

プリ帳、も発見して、それを眺めたりしているうちに1日終わってしまった。プリクラをめったに自分から撮ろうと言わないたちだったから、相手がプリクラ撮ろうと言うタイプの子とのプリクラがたくさんあって、それをみることでその日のことを思い出すから、そういう子との思い出ばっかり残るんだなと思った。わたしはそういうことをちゃんと記憶するから、また毎日のように誰かと遊ぶことはなかったから、プリクラを見れば、この日にあのシャーペンをお揃いで買ったなとか、あそこまで歩いて行ってアイスを食べたなとか、フードコートでなぜか天津飯を食べたなとか思い出せる。仲良しだった子だけじゃなくて、そんなに仲良くない、でも嫌いじゃない、なんなら仲良くなりたい、ぐらいの子と、だいすき!!!みたいな感じを出せる、そういうごっこをできる、っていうのがプリクラ文化のいいところだった。誰と撮っていようが、プリ機側はこちらをマブダチ扱いしてきて、そういうポーズや表情やデコレーションを要求してくる。そういうことは自撮りアプリとかにはない。

ここにはないけど、むかし彼氏?ということになっていた人、とのプリクラが、実家の机のはじっこにあるのを思い出してしまって怖い。あれを見てどういう気持ちになればいいのか。流されるまま、相手と規範とに流されているだけだなーと当時ですら思いつつ、でも流されなければいけないからそうしようという感じだったし、だからあんまり自分のこととは思えない、でも自分の記憶としてたしかにあるし、うーーん、となる、あれを自分ひとりだけで見ているのは居心地わるくてしかたないけど、グロすぎてひとには見せられない、

人生のA面B面のことを考える、