情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0302

とてもお世話になっている先輩とご飯に行く。わたしはご飯をどこで食べるか決めるのが苦手で誰といても相手に委ねてしまうんだけど、それは自分が食の好き嫌いがないことと沢山食べられることに対する自信があったからできることでもあった。最近は食が細くなってしまったし今日なんて寝不足で気持ち悪いから、人といるときにご飯残しちゃったらどうしようってこんなに不安というか心配というか憂鬱になるものだったんだなぁ、と思う。

結局運のいいことに、わたしの頼んだランチと先輩のランチ、同じ値段とは思えないほど私のホットサンドの方が分量が少なかったし、私自身もいざ食べ始めたらそれまで抑制されてた食欲がどんどん湧き出てきたので余裕で食べ終えることができた。

手始めに、自分や同期がやっている研究についてお話しした。やっぱり本当に頭が良くて、単純な知的好奇心による質問のその一つ一つがとても鋭くて、私じゃ頭をフル回転させないとスムーズに回答できない、まるで面接のよう。曖昧なこと言ってぼやかすと「それってどういうこと?」って必ず突かれるから、この素朴でありながらどこまでも正しい言語使用へのスタンスに身が引き締まる思いがする。二軒目のカフェでミントティーを飲む頃には、ゼミの話や担当教授の話、過去の話とかいろいろ深めておはなしできた。

この人は私が不届きなことをするときちんと叱ってくれる貴重な人で、実際あんなに真っ当で正しくて清らかな人はいない、と尊敬してもいて、だからもちろんちょっぴり怖いし、しっかりしなくちゃ、と思わされるけど、それと同時に、とても優しくあたたかく愛をもって私に向き合ってくれているのがわかるから、やっぱり好きで尊敬しつづけるし、素敵な人だなぁ敵わない、と思い続ける。

愚痴を言ったり喧嘩をしたり逆らったり抗ったりすることばっかり考えがちになるし、いやその心は忘れずにいたいけど、先輩の清らかさと正しさに倣いたい点が沢山あるな、と思った。

今日は小雨が降っていたけれど、私は「傘はあってもなくてもいい」思想のもちぬしなので小いポシェットひとつで出かけた。先輩は折り畳み傘をしっかり持ってきていたし、小雨程度でもすぐに傘を取り出して、一粒でも自分に当たる雨粒の数を減らそうとしているようだった。「あっあなたは傘をささないタイプの人だ!それもいいね、色々から解放されてる気がする」みたいなことを言われたけど、本当にそうで、いつも、私たちが関わるときにはこの問題が中心に横たわっているじゃんかね!てひとりで思っていた。私が所属意識や時間の概念から解放されすぎて周囲に迷惑がかかる場合に毎度怒られているわけだし、それと真逆の堅実さ、着実さ、周到さを私はいつも目をかがやかせて見上げてきた、ずっと!

北千住で別れて最寄駅に着く頃には雨脚が強まっていて、バケツをひっくり返したような土砂降りだったけど、私は傘を持っていないので下を向いて歩いた。家までのあのわずかな距離でコートがぐっしょり重くなって髪からボタボタ滴が垂れた。濡れると眠くなる。着替えて、ストーブの前で全部を乾かしながらちょっと本を読んで、こういう日は制作もあまり捗らなかったから、夜明け前の微妙な時間まで余分に起きていてしまった。