情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0618

母に、何時に起こせばいい?というふうに起こされてあんまり意味がわからなかった。

今日は基本的に寝ていた。こういう授業に出たくない日というのは少なくとも家からは出て、ブランコに乗ったり映画を見たり昼から銭湯に漬かったりする必要があるけど、そういうことができないので、意味のわからないぐらい疲れた空気の不味い状態で何日も過ごしている、つまんない。

 

映画の一部だけみたり気になることの検索タブだけ開いたりLogicに1フレーズだけ打ち込んでやめたりした。かろうじて洗濯は干した。勉強は労働にはなりえないので労働をする必要がある、建前上は労働のために生き、結果的に勉強によって生かされる、というのがいちばん人間として健全と思う。晴耕雨読の生活はかなり理想。

 

ドラァグクイーンのインタビューを見たら「幸せの秘訣は家の中ではブスでいること」と言っていて心底いいなと思ったので今日はメイクをやめた。「この姿はオンなの、人間にはオフも必要、自分のためにブスでいるのよ」といっていて本当にそうしたかった。おしゃれをするのもおしゃれをやめるのも自分のこころの健康のため、であったらどれだけいいか!

しかし私たちは日本社会に生きる女なので、「デフォルトの状態」になるために繕わなきゃいけないラインがある。いついかなる日も、外の人と顔を合わせる以上、自分の感情やコンディションとは関係なく、そのラインまで顔を持っていく努力をしなければならない。

 

アイプチ貼って眉毛だけ描き足して唇に色だけ刺して、最小の装備で授業に出ようとミート開いたらそこにうつった自分の顔面が無理すぎてやめちゃった。無理。

 

そこから先はひたすら頭が痛かったので横たわりぼちぼち本とかを読んだ。

頭痛薬を取りに行くのすら無理でなかなか頭痛薬をのまなかった。

「疲れ 数日 原因不明」で調べたら「自律神経の健康のために、疲れたときこそ動こう!」と書いてあって解散。

誰かと話さなきゃなと思って電話しようねって言ってる何人かの人に連絡してみようかと思ったけど、今日もできなかったな。同期と話すのがゼミの質疑応答タイムだけなのでとうとうおかしくなってきてる。

 

ここ数日、窓を閉めるとかバスの予約とかリアペの提出とか先生へのメールとか自分でもびっくりするぐらいぜんぶ忘れてる。「忘れがち」の人になってる。この前テレビで吉本の新入りマネージャーの女の子の密着をしてたとき、ひたすらその子を「忘れがち」と紹介していたのが妙に気に入ったからよく使う、わすれがち。忘れん坊とかドジっ子とか天然じゃなく、忘れがち。

忘れがちというのは一般に状態を表す言葉だから、「忘れん坊属性の人」でもなく「忘れっぽい性質の人」でもなく「忘れがちの傾向にある人」のニュアンスになっていて、それがよかった。

 

最近食事中とか入浴中に「ひまだな」と思うことが多くなった。

「画面を見ずに飯を食います!」と何度も弟に宣言してるけどできない。

なにかしら情報に晒して気を紛らわせていたいということなのだと思う、食べ物の味にも無頓着になったし「あ〜幸せ!気持ちいい!」と思う機会がぜんぜんない、身体感覚に対して適当になっている。

生き生きとしたステージから遠のいて惰性で生命をつづけていて、じつにいやだな。

風呂に入るときの充足感とか、風がいい匂いだなと思ってくらくらするまで息吸うのとか、ベッドに入る満足感とか取り戻したい。

数日に一回は数キロ走っていたのに、雨ばっかりだからそれをしなくなった。からだを動かすのは大事、というか、からだをつよくしようと思って生きるのはだいじ。

ペンは剣よりも強しと言われる場所にいるからこそ、いつでも剣を扱える強さを備えようと思っていたい、趣味じゃなく使命感として。

 

惰性の風呂上がりにテレビを見ていたら、丸山桂里奈さんがかなり独自の個性的な健康法を紹介していて、関節をゆっくり動かすとか顔に貼った薄切りきゅうりに心を集中させるとか、それは健康法というよりも暮らし方に対する謎のこだわりだったのだけど、ものすごくよかった。そういう個人的な感覚で真剣に身体と関わっているというところが「よい」と思ったのに、番組の趣旨としては「間違いだらけの健康法」をスタジオの医者が医学的知識で一蹴する、という感じだったので、ざんねんだった。

こだわりとか偏重とか偏愛こそだいじにしていきたいでしょ、

 

ゼミに生活を支配されるようになって以来なかなか酒が飲めなくてかなしい。ゼミは肝臓も支配している。

 

人間はみな赤ちゃんなのに、他ならぬ私自身もいろいろな女の人をみるにつけ大人らしさを見出さずにはいられない。子供のときに接する大人というのは圧倒的に女性が多くて、母にしろ幼稚園の先生にしろ小学校の先生にしろ、取り仕切り管理し自分より正しい存在としての大人は、女。女の人が母たる大人になるときはいつ?少年のままのおじさんや子供のまんまのおじいさんのほうがわたしはよくわかって、彼女らがいつの間にあの生活力や処世術やキャパシティや正しさを身に着けたのか、ぜんぜんわからない。

17歳の誕生日、女性になるか人間になるか選択の魔法の夢を見たものだけど、わたしもあなたもせいぜい時間の経過した子ども

生活者を名乗りたいな

 

日付の変わり目、移動制限の解除を「あと30分」とか「あと3分」とかことさらにアナウンサーが強調していて、冷静な声色ながらも「みなさんお待ちかねの!」と言いたげなようすがちょっとかわいくて、べつに私は解除されようが誰とも会わずどこにも行かないのでしょうが、この人がたのしい移動をすればいいなと思いました。