情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0508

早起きして、引っ越し屋が来るのに備えてすべての荷物を段ボールに入れる。

昼過ぎ、引っ越し屋がきた。

わたしがひとつも持ち上げられないような、本や食器がぎっしり詰まった段ボールを3つも積んで小走りで運んでゆく、これはもう生き物としてのありようがちがうとしか思えず、感動と困惑と脅威の気持ちで部屋の隅でちいさくなっているしかなかった。

引越し屋が去ってしまったあと、彼らのドダドダドドドド!という足音を反芻しながら、段ボールの山の中でしばし茫然とした。

前のアパートの退去準備をしたり、ガス開通の立ち合いをしたり、ニトリで収納用品を買い足したり、やることは多かった。

前の家はガスコンロが備え付けでなかったのでコンロを買っていて、それが要らなくなるから、軽く掃除をして、商店街のリサイクルショップに売りに行った。500円になった。

それからは戦争のように、段ボールを開けて中身を出して収納しては潰し、を怒涛の勢いで繰り返した。引っ越し屋のような機敏さでそれを行い、さっきよりは少しあの生き物に近づいたと思った。

段ボールを開けるのも、やたらめったら考えなしに開けてはいけない。開けたらその上に物が置けなくなるし、収納の決まっていないエリアもあるし、備え付けのクローゼットや先に配置されている家具の中に収納できるものから潰していかなければならない。と同時に、収納のためのラックたちの組み立て作業もある。頭と体をフルに使う。

わたしは前の家にいたときからぜんぶの物がどこにあるのかを把握していたし、知らないものやなんだかよくわからないものや自分に関係のないものや位置付けをとくに決めていないもの、は家に存在を許していなかったから、段ボールに詰めた後も、どこになにがあるかほぼ完璧に思い出すことができた。それのおかげでかなりの時間が短縮されたと思う。17個ほどある段ボールの中の小さなポーチの中にぶち込んだ自転車の鍵を一発で取り出すことができたのはさすがにすごかったと思う。

かなり疲れてへとへとだった。そろそろ体力が尽きてきている。前の家で使っていたカーペットは祖母にあげることになっていたので、祖母の家まで運んで行った。それからは、今日までの課題があったので、車で実家に戻りながら、助手席で渋々それに取りかかった。パガニーニの楽曲分析。「出さないよりはマシ」の精神。0か100かではなく、60点を狙えるマインドが育ってきたのはよいことだと思う。