情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

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絶対に遅刻できないと思って気を張り詰めて寝たせいで、何度か起きてしまった。実家からねこのクラッキング動画が送られてきて最高の目覚めだった。

音楽を提供した自主制作映画のミニ試写会があった。日本茶愛する人が、その愛のあまりに企画し制作した映画で、それを通じてわたしも、お茶を育てる人やお茶を出す人やお茶を広める人の愛にじかに触れることができて、こんなにも想いと愛の詰まった作品に関わることができて、それを伝えるお手伝いをできたことまでぜんぶ含めて、とても幸せなことだなあ、と思った。きちんとお金をもらって仕事をするのはこれが初めて。自主制作映画ってつまり、だれかの熱意と愛のぶつかるところに作品があるわけで、それをそういう形として現前させるためのお手伝いをする、それのために時間を費やす、というのは、とてもすてきで贅沢なことだった。これからもそんなすてきなことでお金を得て、生活していけるのなら、もっといいことかもしれなかった。

そのミニシアターで、たくさんの美味しいお茶をごちそうになった。茶の映像を見ながら茶を淹れてくれる音を聴きながら、また茶のことを考えながら作った曲を聴きながら、茶の味と香りとあたたかさをいっぺんに味わっていて、まさに五感の体験だった。お茶に利尿作用があるというのは本当で、3時間で3回もトイレに行った。

終わってすぐに、新居の内見に行った。すこし家賃が上がって、すこし駅から離れて、すこし部屋が狭くなって、すこし風呂が広くなる。壁が薄いことがもとの隣人トラブルで引っ越しをするわけなので、どうしても次の物件を選ぶときに木造アパートは避けよう、ということになり、だからマンションに越すことになっている。オートロックで建物がでかくて、さらに新築なので、ちょっと気が引ける。気軽さがたりない。どういう感情なのかはわからないけど、新築なんかに住んでしまってすみません、みたいな気持ちがある。

でも実際、ためしに新居の壁を叩いてみたら、まるで学校の壁を叩いたときのように、ただ掌がぺちんと叩きつけられただけで、ぜんぜん隣室に響かないような気がした。これではたしかに壁を叩かれてもノーダメージだな、と思った。少なくとも無意味な引っ越しにはならないことが確定したので、そのことはよかった。

いま住んでいる家は駅から近いしキッチンが広いしだいたいのことは完璧で、隣人も生活音とかに対して文句を言ってくることはない。来客がくる、ということだけがとにかく気に食わないらしく、だから攻撃を受けるのも誰かがきているときだけだった。ひとりきりで過ごしているぶんには、なんの嫌なこともなかった。

だから私よりも両親のほうが、壁ドンに遭遇する確率が高くなるわけで、今の家へのわるい印象も私よりずっと強く持っていた。わたしはこの部屋を去るのがうっすら寂しかったけれど、そのことを悲しんでいるのがわたしだけであることが悲しくて、帰宅後にすこし落ち込んだ。あたらしい場所で生活するのはいろいろな可能性があってもちろん楽しみだったりするけれど、わたしにとってはただ手放しに祝福できることでもなかった。

何もせずにいると気が滅入るので、参加を迷っていたオンライン新歓をのぞくことにした。自分がしているわけでもないのに、自己紹介は緊張した。ミラーニューロンのことを思い出した。研究室ごとに喋るタイムでも、1年性が適度に生意気で口数も多かったので、こちらもいいことわるいこと正直に話した。解散になったあと、残った部屋で先輩たちがしゃべっているのを盗み聞きしたりチャットで口を挟んだりしながら、ごはんを食べ、課題をやったりして、気持ちは紛れた。