情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0330

ひさびさに、安全領域の中で思い切り思い上がりを発揮しながらねむれたせいか、いい夢を見られた。見たかったらへんの情緒を探り当てられたので起床後もずっと調子いい。

楽譜に強弱記号やアーティキュレーションをつけたりレイアウトを整えたりする作業をやっていた。楽譜をデコる工程。現代音楽のように1音1音の意図を伝える意味があるような音楽ではなくて範囲内でやっている音楽だから、たいてい記さなくても音だけで意図が伝わる気がするし、他人に演奏してもらう予定も後世に残すつもりも一切ない、ただ自分が演奏するためだけにある曲の楽譜だから、西洋音楽の慣習上の記譜法に則って細かな表現の注釈をつけていく作業そのものがどうも無駄に思える。どうせ表現の意図を書き記すんだったら、ぜんぶ日本語で細かいニュアンスまで漏らさないように努めながら書く方が、まだ納得がいくというか。

この作業をどうしても今日中に終わらせたかったので、何時間もこれをやっていた。どんなに熱中してやっていても、身体的な疲労が溜まってくると苛立ちでいっぱいになる!

 

こうして今更アートパスの作品を振り返る機会ができて、動画を見直したり弾いた音をたしかめたりしている中で、あの一回の公演に、あの時点の自分の表現に対するいろんな見方が知らず知らずのうちに結集していたことを発見しなおしている。

ゼミでやろうとしていた、音楽のフェミニズム批評が果たして成り立つのか?という題材から、音楽がなにかを表象することについて関心をもって、そこからよくある映画音楽の技法を想起して、それらの原点にある西洋音楽史上の技法に結び付けられるようにして、なんとか大学の中で発表するための妥当性をこじつけた。

それからここ2年、音楽が現代芸術でいうような「表現」には向かないメディアであるような気がして、だから現代音楽のような方法になじめないという葛藤がずっとあって、だったらいっそ何らかの規則性の中でゲームのように遊戯のように、あるいは生活の中の日常行為として音楽がある、という方が健全なのではないか、とか思い続けていた。規定されているルールの中で快楽値を上げていくことが目的の音楽、祈りのための音楽、食事のための音楽、デザインとしての音楽、もしくは隠居中の草原で思い浮かぶメロディ、自分の声や演奏行為そのものが自分のぜんぶになるような音楽。それらへの興味はすべて、音楽が何も語り得ないという前提の上に成り立っているもので、だからこそ、もう一度、果たして本当に音楽は何も語り得ないのか?(ある意味では語り得るのではないか?)に立ち返ることになったのかも、とか。

その上でずっと家にこもって二次創作文化のことばかり考えていたので、物語(原作)の解釈、読み解き、その上での創作行為の余地について、あとはミューエクの演助をやってからずっと考えている、再演の際の演出と脚色の効果について、の関心も大きく関係した気がする。

そしてやっぱり、実際の上演のときに即興の要素が大部分を占めたこと。わたしはずっとコンポジションの意味の作曲をやってきていなかったんだ、と気づいたのがアートパスの2ヶ月前くらい。副科ピアノの先生に「あなたの作曲は即興の書き起こしみたいだ」と言われて、本当にその通りの構造の曲だったし、その通りの工程の作曲だったし、そのことに気がついてすらいなかったので度肝抜かれた。小さい頃作曲を始めたとき習っていた先生がとても自由な人で「とにかく好きにやってみて、あとは背中を見ておぼえな」という感じの方針で、レッスンの内容は毎回、私が持って行った曲の破片を先生がその場で即興で弾いて膨らませてくれる、あとはそれを参考に次回までに続きを作ってみる、という形式だった。わたしは作曲が嫌いだったけど、このレッスンはわりと楽しくて、それも、自分の作ったものが今この場で成長していく、というあの、行き止まりのどん詰まりだと思ってた世界がどんどん明るく広がっていく、それに伴ってわたしのほうも腹の底からエネルギーが湧き上がって走り出したくなるようなあの感覚、が本当に好きだった。そして家に帰ったら、録画しておいた先生の即興のビデオをみて音符に書き起こして弾いてみて、それを生かしたり捨てたりアレンジしたりしながら自分の曲を作る、という方法で作曲をおぼえていったなー、ということを、今になって思い出した。作曲の基本ルールをおぼえるよりも、即興に心ふるえる体験を何度もしていって、それのことを作曲で音楽なんだと価値付けていたんだろう。そう思ってみれば、自分がアートパスでやった演奏っていかに自分の系譜において正当なものだっただろう!そういうことに今更思い至った。やっぱり自分の中にあるものしかできないということ、今年は新しいことをやっていきたいな。

 

今日はSNSをほとんど見なかったし携帯の充電も有り余った状態で1日を終えられた。そのかわりに休憩のときにはいろんな本をつまみ読みした。作業時間にブルーライト、休憩でもブルーライト、のサイクルは確実に体調わるくするし、本だったら途中で休憩にも飽き始めてちゃんと作業に戻れるので良い。

無事に譜面を提出し、幸福論をうたったりしながら風呂に入って気が立ってるのを落ち着けて、酒を飲んでリラックスの時間をやった。締め切りの1日前にちゃんと提出できたの嬉しい!酒とごはんとねこがある状態は最高。酒を飲んで、ねこを撫でて、母が見ていた霜降りバラエティを眺めてた。粗品さんをみると、なんかいでたちが?雰囲気が?エロいんだよなーと毎回思っていて、何を喋ろうが面白かろうがつまんなかろうが、粗品さんなんかエロいなーと思いながらただ見ている。