情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0528

莫大な眠りを必要としている。生理前でもないのになんで?ずっと会ってない今後も会いそうにない人と、50匹ぐらいの蝸牛と、「ない記憶」の思い出話をする夢をみた。

大学のホールを借り、留学生の院生ふたりに手伝ってもらって自動演奏ピアノの接続と試作をした。私にしてはちゃんと準備と段取りを頑張ろうと試みたほうだと思う。とはいえ私なので、今日に照準を合わせられず予測や対策が全然できてなくて、どうしてこんなに詰めが甘いのか~。

研究室のTAさんは、声が大きくてよく笑い、歩くのが速くて快活な明るい女性で、そのエネルギーに圧倒された。わたしが緊張していても、PCの不具合でインストールがうまくいかなくても、やさしい爆笑で笑い飛ばしてくれるのでありがたかった。

彼女らがどんなふうに生活しなぜコンピュータ音楽なんかをやっていてどんなふうに制作の時間をつくっているか?が想像もつかなくて、つねにそういう興味を持って観察している。直接不躾なことはきかない。

MIDIピアノに自分のつくった音源を演奏させてみたときの、初手の衝撃、ひさびさに楽しい!!!とわくわくの気分になった。3時間半ぐらいひとりでやっていて、気づきやインスピレーションの気配はあるがとりあえず疲れて腹が減ってしょうがないので帰る。得たものはあったと思う。

 

「ものを作るのが好き」のタイプの人がうらやましい。たぶんそういう人は「制作」を生活の中のどこに組み込めばいいのか?とかで悩んだりしない。

工作はずっと苦手だったし、それに類することは今も昔も「時間がもったいない」「面倒くさい」「やる意味がない」と思ってしまう。そういう自発的なものづくりこそが創造性なのに!でも創造的に生きるって疲れないのかな、

レジャー先の~作り体験とかも「せっかくの時間が勿体ない」という理由で尽く参加せずにきたもんな、価値観が露呈している。

そういうことをやっていきたい、思えば絵を描くのはずっと苦手だったけど、小さい花の絵で自由帳をの1ページを埋め尽くすのはやったことがある、あのちまちました作業の脳停止感も、終わったあと紙が満たされている達成感も楽しかった。

まずは疲れずに始められそうな、要するに単純作業の繰り返しとか、「作業」の集積がモノになるたぐいの、決断を頻繁に行わなくていい、タイプの制作のフォーマットを見つけて、それによって制作時間を生活に組み込ませたい。そのフォーマットがわからない、塗り絵とか?刺繍とか手仕事のたぐい?

大阪で仲良くなったおじいさんから手紙が届いて、「このまま一生を終えるのはむなしいから、貼り絵で世界の国旗ぜんぶを作ることにした」と書いてあった。いくつになっても、そうやって自分の目標とそれをやる意味を自分で設定して、そこに向かって時間と労力を費やしていける、というのはすごくかっこいいことだ。むしろ私もそういう意味の「制作」をやるべきなのだ、わたしもなにか自分のゴールを見つけなくちゃいけない、それはなにかの役に立つことではダメで、もっとクリエイティブな動機にもとづくもの。

 

「準備」が苦手なのやめたいな、なんでも準備にかかる時間をちゃんと見積もりたいし、準備をせずに臨むということがないようにしたい。朝ごはんでもそれを作る時間でもなんでも。制作ができないのもたぶんそこと関係しているので