情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0831

いちばん気を使わない友達に会った。半年に一度くらいの頻度で会って、ファミレスとかで5時間ぐらいノンストップで喋り倒して解散する。中学時代の思い出話はいっこもせず、部活も進路もちがうため共通の話もないので、知らない時間を埋める感じでひたすら近況報告する。

どんな関係であれ、一緒にいて、好き!!!といっぱい思える相手ほど、少なからず、嫌われたくないとか、傷つけないようにとか、相手の出方に合わせようとか、もっと盛り上げた方がいいかもとか、自分をこう見せたいとか、こういう言葉をあげたいとか、必要とされたいとか、邪心がめばえてしまうものですが、そういうしがらみとは無縁のところでも、好きは存在しうるんだなと、(そういう好きは私にとってはレアケースだ)

こういうのはきっと、最終回から最も遠い人付き合いなんだと思う

キラキラのメモリーみたいな瞬間ようするにクライマックスがないというのは、とてもいとおしいこと

 

友達とは人がごしゃごしゃっと集まったなにかそれらのことではなく、人と人の関係のことなのだとさいしょにママに教えてもらえてほんとうによかった

 

映画SUNNYをみたとき、私の人生には「あの頃の仲間」っていうのがないな、と思ったが、そういや大学入ってまず感じたことが「あ、なんか初めて、仲間がいる」ということだったよな。今の、PJとかですごす日常が、いつかわたしのSUNNYになるのかもしれない。

 

でも大人になった私は「教室のまんなかで居心地がいい状態」って実はめちゃくちゃ危険なのでは?という仮説をたてています、

コミュニティの中で最強のスポットは、教室のはじっこで世界の中心、だと知ってはいるのです、

 

12時をすぎて眠りはじめた郊外の国道を飛ばすのは気分がいいよね、わたしはひとりで車に乗るとよく歌う