情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0424

高校まで習っていたピアノの先生と、当時から一緒にピアノをやっていて今年芸大に合格した好きな友達と、ものすごく久々に会った。会っていない間もふたりのことは変わらずずっと大好きだったけど、それぞれあまりにも話したいことが多すぎて、はじめのうちこそ表面をなぞるような会話ばかりしてしまった。

先生と友達と3人で話している時間と、先生の仲良しの先生が合流して4人で話している時間と、先生たちが先に帰って友達とふたりで話した時間と、があった。その間。場所を2回変えた。

先生もわたしたちに「生徒」として向き合っているときと、「最近の若い子たち」として扱っているときと、「年頃の親しい女の子」として接しているときと、いろいろあって、そのひとつひとつをもっと掘り下げたいけれどもそれをするには全然時間が足りなかった。

でも先生は、もはや生徒の子どもではなくて、大人になった私たちと新しく、本音でいろんなことを話せる関係性を築こうとしているのが伝わった、それ自体うれしいことだった。わたしはなにか注意されるとすぐムッとする自我のつよい子どもだったことを自覚しているから、この洞察力の高くて賢い先生に何もかも見抜かれていただろう、ということも容易に想像ついて、今でも気恥ずかしい。

最近の若い子はどういうふうに遊ぶの?とか、何をしている時がいちばん楽しい?とか、そういう質問にスッと答えられるような感じの人生を送っていなかったことを、すこし申し訳なく思った。よくわからない、わたしの回答は外れ値だから期待に沿えないよ、と思って躊躇の時間を挿入してしまう。前者の質問なら「平日も休日も、だいたい自分の興味があるところはどこでも行って、あとは興味のある友達とときどきサシで会って死ぬほど語り合います」ということになるし、後者は「そういうハイライトの時間と一般の生活、というふうな区分で日常が構成されてはいなくて、何をしてるときもだいたい楽しく、何をしてるときもだいたい死にたい」ということになる。これまで先生には、捻くれた部分は適度に隠してそれなりにいい子を演じてきたから、ちょっとやりにくい。

とくに先生は、案外恋愛の話を聞きたがった。親戚の仲良しの叔母さんとかが恋バナをしたがるのと似た感じで。どんな男の子が好きなの?とか、浮いた話はないの?とか、そういううきうきしたテンションでなされる問いかけに、ひさびさに追い詰められたような気持ちになって冷や汗かいた。話したくないとかではない、話したいのにそれがままならないから苦しい。たぶんわたしの本当の真ん中の部分でなくても、いろいろある部分のうち、切り取り方とその切り口さえ工夫すれば、ひとつも嘘をつかずに、かつ一緒に盛り上がれるような話をできるはずではあった。でも、そういう「普通の恋愛話」を求められることが最近ずっとなくて、それゆえその工夫の努力を怠っていたから、うまく応えられなかった。とかってそこまで無理しようとしている時点で引き裂かれが起こっている何よりの証拠なので、それも悲しい。

先生は独身でとても色気のある魅力的な女性なのだけど、じっさい若い頃はおもいきり性愛を謳歌していた、という事実を知って、納得と尊敬になった。もっとその話を聞きたいけれど、そのためにはそれに見合うテンションと性質を示さなければならない、女どうしの恋バナはそういうものだから、というのを知っているから、難しいよなああ、

先生は、わたしたち友達どうしで話したいこともあるだろうから、とそこまでの食事代の4000円をサッと机に置いて颯爽と帰っていった、そういうところも素敵だった。酒が入ればもう少し話せるのに、と何度も思ったからぜったいに飲み会をやりたい。

それからは友達とふたりで話をした。ずっと大切でいとおしく思っている気持ちもちゃんと逐一示さないと案外伝わらないのかもしれない。わたしはただでさえ、関係が深い友だちに不気味と思われがちだから、ちゃんと何度も本当を伝えなきゃいけない。

基本的にはわたしと違ってとても素直な子だったからこそ、大学で新しい学問、価値観、人間関係、環境、に出会ってどんなふうに変貌するんだろう?という部分が未知数でとてもとても楽しみにしていたから、オンライン授業でほとんど学校に通えていないという現状を改めて恨めしく呪った。

でもそんなことよりも、とにかく再会できて、わたしたちの関係の中で新しい時代が始まることが何よりも嬉しくて、そうである以上、なんだってできるしどんな夢だって見れるから、これからたくさん積み重ねたい。