情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0529

高校卒業後の春休み以来、一度も会っていなかった友達に会った。

クラスがずっと一緒だったし貴重な仲良しのひとりだったのに、浪人の時期があったから、なんとなく連絡せずにいるうちにだらだら2年経っていた。それが突然、「今週会おう」ということになった。女友達に会うというのは、私の生活の中の欠かしてはいけない贅沢のひとつでもあり、だいじな実践のひとつでもあり!

むかしから、防御とか無しで安息の気持ちで一緒に過ごせる感じの人だったから、ひさびさに会っても緊張とかぎこちなさとかはまったくなかった。寛容で優しくて心根が善で、よく笑い相手をきづかうユーモアがあり、ほんとうになにひとつ変わっていなかった。

こっちに来てくれていたから、大学付近の街をうろついて、行ってみたかったごはん屋さんに一緒にきてもらって、真夏日だったから川沿いですこし酒を飲んだ。そのまま5時間川にいて、空が青からピンクと水色になり、オレンジになり、淡いレインボーになり、やがて黒くなるまで眺めながら、ずっと喋った。虹の広場という名前のついたエリアで、トイレがあるのがよかった。水は徐々に満ちてゆき、水面は時間とともに高くなった。流木が流れてきたりもした。水が揺れるのに視線をやりながら、ひたすら喋った。川も空も、時間が流れるのだということをつねに表象していて、そのモチーフが絶えずわたしたちのそばにある、ということがすごくよかった。

鳩が川の水を飲んだり、魚が急にものすごい跳ねたり、唐突にお兄さんが滑って転んだりしたのがいちいち、やけに面白かった。大きな声で笑い騒いだのは、多少は酒のせいもあるのか、もともとこんなんだったか、もう覚えてないし判断もできないな、ということを考えていた。

それぞれの、別々で過ごしていた頃の話、それぞれのいる社会の話、共通の友達の話、過去の思い出の話、いくらでも話すことはあって、それでもかなり話だけに集中することができたから、喋り尽くした、というここちよい疲労と満足感のなかで帰ることができた。

「こういう話はあなたにしかできない/あなただからしている」と言ってもらえるのが本当に嬉しくて、わたしもそういうことを大事にしている。あなただからできる話、ここの関係だからこそ言えること、そのそれぞれ!私が人を湿度で測っているところがあるからか、いつもは明るくやっている友達が私の前では湿っぽさや真面目さを解放してくれるという状況がわりとあって、嬉しい。そういうふうにしかできなくなってきている。わたしがそういうところを素敵に思っているから、とか、考えを喋りあえることが友達関係の最も大事なことと思っているから、とかそういうことかもしれませんが