情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0818

すごい昔の、ときには何年も前の、ちょっとした失言をふと思い出して、ぎゃーーーー死ぬっとなる、毎日なっている。ときには失言ですらない、自分の浅薄さが露呈してしまった瞬間やなにも保護するものがない状態の生の切り口を晒してしまったような気がするときのことを思い出して、あーーーーーーー無理っっっっきえたい!の感情になるね

 

きちんと自分の設定したアラームで起きて、早い時間にみじたくをして、朝ごはんも一応食べて、ヨガマット敷いてからだ動かして、昼ごはんも簡単ではあるけどつくって、にわか雨にあわてて洗濯物しまったりして、きちんと当たり前に生活をしたし、明日からもそうやってやっていきたい。

溜まりまくっていた課題に手を付けて、一切むだなことをせずがんばり続けたのにすぐ夕方になって夜になって日付が変わった。つづけなくちゃいけない。

 

音楽を作ろうとするとすぐ、ああ私は音楽をなんにも知らない、という考えになるけど、ピアノをひいているときは、ああ私は音楽の何たるかを、真に音楽をするとはどういうことかを、生命の雄叫びのような意味での音楽のことを、知っている!!!!!!!の気持ちになる、そう私は音楽を知っている!!!春の嵐のクーンになったかのような気持ちになるということ!!(ゲルトルートとうまくいっているところで、あえて読むのをやめてしまったんだけどね、)

 

きょうはアマプラでハイキューの配信がおわっちゃう日なので、白鳥沢戦を最後まで見た、ああほんとに良い、めちゃくちゃ良かった。「興味深い」を掘り下げて自分の言葉にして人に話すのはけっこうできるのに、「ちょーーー好き!!」を人に語る方法をほんとに知らない、たぶん、このせいで人生を何割か損してる

 

わたしは少年ジャンプが好き。さいきんは、諦めと自己肯定とオリジナリティな幸せ、みたいなのが、生きるスタンスとして流行っているし、そういう風潮はすばらしい、そうやって私の身の周りにいる感じのタイプの人たちが生きやすい社会になってくなら、と思うけど、私は、あくまでも私自身は、GReeeeNの根性論みたいな歌詞をきいて単純に心奮い立ったりできるし、少年ジャンプ的なマッチョイズムを自分自身に適用して生きていきたい、努力で勝利したいのだ、少年ジャンプにはもっといろんな、大人っぽいたのしみかたがあるのを知ってるので、少年たちがキャラクターに同一化するみたいな読み方をハタチの女のしかもこの私がやってるというのがほんとは恥ずかしい、これはほんとに恥ずかしい!

 

ジャンプの主人公は「バカでスケベだけど強くて正義」ってキャラ設定がめちゃくちゃ多くて、特にひと昔前の作品になるほどそれは顕著だとか、それ以外にもかなり、ヒロインの役割とか特徴がきまっていて(漫画やお笑いはステレオタイプのうえに特に成り立つからね)、少年漫画がいかに男女観に影響を与えるかという話は無限にできる、ジャンプの腐二次創作がいかにしてホモソーシャルをブロマンスに読みかえるかという話もできる、だれもべつに知りたくないだろうから話せませんが!だれか仮に興味があるよーってきいてくれたとしても、「持論を展開するときは必ず、分をわきまえてすること!ほどほどに!」というちからが働いてしまうから、ほんと、駄目です!だめ!

 

高校生の頃まで、人生や生活に対する漠然とした希望というか自信があった気がして、それは、きっと私が中二病スキルをもっているからなんだと思うわけです。中二病スキルっていうのは、フィクションと自分の生活を同一化してクロスオーバーして日常をドラマチックに錯覚する行為のうまさってこと。日本のフィクションは圧倒的に、舞台が学校で学生が主役で、だから、自分たちの日常がちゃんと世界の主役になれるみたいな安心感が、ありませんでしたか?おとなになればロールモデルを見つけるのは簡単じゃないし、自分は卒業したOBであるとでもいうような引け目とたたかう必要があり、主役のキラキラ(になりうる)と思い込んだ状態でいるのは、本当に難しい。私はちゃんと、人に縋ったり人に愛されたりの手段を使わずに自分で勝手に主役になれるちからと余裕がほしいから、がんばるぞ!