情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

221025

誰だったかは思い出せないけど「可愛い楽曲を作るときに、その音楽が人格を持ったひとりの女の子であると考えて、そのキャラクターを作り込んでいくように音を並べる」と言っていた男性の作曲家がいたと思う

 

夢に向かって頑張る女の子を描いたコンテンツ(それも女児をターゲットにした)において、とても可愛い音楽を作る人が、現実の女の子に性加害を行なっていたというニュースを知った。誰よりも音の中に女の子の可愛さがぎゅっと凝縮されたような曲を作る人だと評価していたからとても悔しい、

人格のことと表現物は関係がなく、ましてや理性の問題であって眼差しの問題ではないとわかっているのだけど、作る音楽の可愛さと現実の女の子への眼差しが結びついてしまう、

もっと可愛い音楽を私が作らなくてはならない。悔しさというのは、音楽を作る人間として、元少女として、オタクとして(女の子に萌えるカルチャーを愛する者として)、女を愛する性指向のものとして、

 

今日はみっちり5時間レコーディングを見学した。

譜面と音源の予習をしていないから準備不足である上に、生理前の最も体調の悪い時で、体温が高く、音の聞こえ方も違う。

鳴りやすい音と鳴りにくい音、弾きやすいパッセージと困難なパッセージ、譜面指示の加減、そこで交わされるコミュニケーションの塩梅、など見ているうちにわかってくる。

ソロストリングスの豊かな質感をずっと聞いていられるのも収穫。弦楽器の響きには木目のような柄があって、伸びたり縮んだり歪んだり不思議な形をしている。

 

録音のあとは、少量の酒を飲みながらにこにこ話を聞いた。

社会の中ではかなり優しい部類のおじさんほど、こちらに気をつかってくれるが故に、その言い訳として、「最近はアルハラって言葉もあるからね〜あとで無理やり飲まされたとかって言われたら〜」のようなことを口にする。

良い人だとわかっているから、メッセージの核であるはずの気遣いの気持ちは伝わっているし、その発言そのもので嫌な気持ちになることは一切なく、そもそも飲めと言われて飲まされるタイプでも後々ハラスメントを告発するタイプでもないのだが、この言葉に対して「そんなことしませんよ〜」と否定の返事をするときに、居た堪れない気持ちになる。信念に背くことを言っているような、味方を裏切って敵軍のふりをしているような。

 

帰り道、電車にのっている間、なんとかおしっこを我慢するために文庫本に意識を集中させた。古本屋で安いコーナーにあった内田樹の「映画の構造分析」、前の持ち主の生真面目でちょっと阿呆な書き込みがいっぱいでかわいい1冊。

隣に座っていたお兄さんがこちらにもたれて眠っていたけれど、疲れている人にはやさしくしようと決めているために我慢していた。降り際、急に目を覚ましたお兄さんが寝ぼけた顔にサムズアップで「だいじょーぶ?」とナメた口をきいてきたので後悔した。やや乱暴に押し返してやればよかったな