情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0422

授業に出て、先生の機械トラブルの隙を縫って洗濯を干したりし、副科うたのレッスンに行った。今日はきちんと寝たしごはんも食べたから、それなりに声は出たけれど、無駄な力みがあるようでそんなに調子がよくはなかった。先生がレッスン室に置いてあるデカい鏡を指差して、「これを持ち上げながら歌ってごらん」というので素直に言うことを聞いてみたものの、鏡にうつる自分の顔面を間近で見ながら歌うのはおかしかった。先生はいたって真面目なので、それもおかしかった。

放課後は、初対面の女の子と映画デートに行った。ほんとうは「好きな人とでかけること」だけをデートと呼びたいのだけど、今ここで言っているのはその語義ではない。「お互いが女の子と恋愛関係になりうる女の子だ」ということがはっきりとわかっている上で、そういうつもりで会っているということ。

映画館の前で待ち合わせたから、最低限の会話しかしないまま隣どうしで映画を見た。2時間ただ隣で同じものを見ていただけなのに、出る頃には少しだけ親しくなったような気がして敬語が抜けていた。近くのカフェで2時間だけお茶をした。ふつうにお互いの勉強していることなどを話して、面接みたいになった。でも、互いの知識や将来や研究内容について話すことができるというのは、おたがいにそれについて興味をもって話せるタイプの人でないとできないことだから、貴重だと思う。優秀な大学の院生で、でも理系だから、全然わたしが関わってないタイプの子という感じで面白かった。

一応、始めに言ったような意味でデートだから、会話の途中途中で淡い「口説かれ」のような文言が織り混ざってきて、でも興味のない男の子にそれをやられるのとは違くて、くすぐったい気持ちになった。「男の子からの口説かれを、それがそうというだけでうれしく受け取ることができて、だからどんどんそれを引き出せるようなタイプの女の子」というのはまわりを見ていてもたまにいるので、彼女たちはたのしいだろうな、と少しうらやましくなった。いやわたしだって、男の子に恋をしうるけれど、わたしが男の子と接する場合の多くは、世間の男/女のバイアスありきの関係性になってしまって、だから圧倒的に既存の「恋愛」の規範をなぞるように口説かれることが多くて、わたしはそういうのを好まないから、そうじゃないパターンを、となるとなかなか恋愛状態になりにくいという、そういう話。結局、恋に恋するタイプの女がいちばん恋を楽しめるってこと。いやそれは嘘かも、わたしはわたしの思う意味でこんなにも恋のたのしさを知っているから!

 

見た映画は「アンモナイトの目覚め」。わたしは「気難しくて賢くてでも冷淡ではなくておまけに少し臆病な若くない女性」ていうのが本当にめちゃくちゃ好きだから、主人公の女性がまさにそういう感じでおいしかった。そう、おいしい筋書きにおいしいキャラクター、という感じの映画だった。相手のシアーシャ・ローナンも「美人で無邪気で素直で若い人妻」という根っからの王道ヒロイン、みたいなキャラクター設定で、百合漫画や百合ラノベみたいなジャンルでも通用するんじゃないかと思うようなふたりぐみだ。

異性愛者の「ラブロマンス」コンテンツは、いつでもどこでも死ぬほど量産されてきて、歴史的にも散々やり尽くされてきたわけだけど、そういう直球の快楽的な「ラブロマンス」をレズビアンの物語においてやってみたら、こうなるのだろうな、というような印象だった。女性の学問の世界からの排除、歴史からの抹消、女性が才能で仕事をすること、などのテーマも触れているのだけど、あくまでも主軸はラブロマンスだった。だからわたしも、気難しいケイト・ウィンスレットの心のやわらかいところにどうやったら触れられるだろう?ともどかしがったり、天使のような笑顔と勢いでもってこちらの心の敷居を踏み破ってくるシアーシャ・ローナンのかわいらしさにメロメロになったり、そういう見方をする。彼女たちの立場になりきって恋愛のよろこびを追体験するような古典的な楽しみ方をやる。(セックスシーンがやけにポルノ調なのも、この映画がフェミニズムシスターフッドを描くより以前に「ラブロマンス」なのだということと関係している気がする)。

映像の美的センスの部分が良いというのももちろんあって、海辺のシーンのキラキラはかがやかしく尊く忘れがたいし、全体的な色調の統一感もお洒落だった。散々言われているように「燃ゆる女の肖像」と似ているところはいくつもあって、特にケイト・ウィンスレットが化石を削る音の質感は、「燃ゆる」の鉛筆や絵筆の音の質感を彷彿とさせた。

しかしやっぱり、「燃ゆる」の静謐な世界、女同士の恋愛と「見る/見られる」問題、映画的な技法が詰め込まれた全体的な完成度、硬派な美しさ、がどうしても私は好きだった。その点を思うと、やっぱり二者は全然別物という感じがする。すてきな作品を語るとき、わざわざ他の作品を持ち出して「どちらが好きか」みたいなことを話すのは野暮だとも思うけれど、これだけ似ている作品だからこそ、「どちらがあなたの今の心に強い反応を引き起こすのか」を聞くことは、その人自身のことをよく言い表すように思う、だから本当はみんなに見てもらって、どっちが好きか聞いてまわりたいほど。ひとりだけツイッターでフォローしている人が「アンモナイトの目覚めのほうが、“未来があって”いい」と言っているのを見かけて、彼女がそう言うというのも含めて、納得だった。わたしは(あの時代設定であるという前提の上で)ふたりの女の恋愛/3人の女の連帯 が「期限付きのユートピア」として描かれたことに旨味を感じているからこそ、逆の人の意見にも、すごく納得した、ということ。