情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0520

自分の体に鞭打って起き、授業をきき、洗濯をまわし、とやる。木曜午前は遅刻できないし見逃し配信もない授業なのでたいてい気を張りつめているけれど、さすがに今日は15分遅刻した。遅刻した日に限って授業終わりの小テストがなく、課題提出の形態で、つまり猶予ができたのは幸か不幸かわからない。洗濯も皿洗いもルーチンワークとして手を付けられるようになってはいるが、皿洗いというのはじつに無駄だなあと思いながらやっているし、じわじわ削られている感覚はある。

馬鹿みたいだけど、とにかくゆっくりな速度で歩こう、ということに気をつけている。0.1秒でも早く目的地に着かねば、と意識を方向付けた状態で歩行をすると、それだけで体が強張って歪んでいく感じがする。

今日の声楽のレッスンでも、大きな声を出そうとしなくていい、前に声を飛ばそうとしなくていい、みたいなアドバイスをもらった。そういう発想じゃないところで声を響かせていくわざが必要になるらしい。先生は、ジャンプしながら歌ってとか、前屈しながら歌ってとか、無茶でダイナミックな指令をたくさん出して、それに従ううちにすこしずつ力が抜けていくような気がしないこともない。ニュートラルに声を出すということがずっとできなくて、心の緊張が首肩のこわばりになって、はやる気持ちと不安のなかを絞り出すように声を出している、話すときも歌うときもつねに!なかなかうまくいかないな、

今日は筋トレもしたし、たくさんやるべきことをリストアップしてそれを順々にこなしていった。そういう気持ちのありように慣れていないから、せかせかしてずっと緊張状態にあり、すこし疲れた。でもそういうふうにすると視野狭窄になるから、LiSAのテレビの時間を忘れていたりして、やっぱり予定通りにいかなくなる。それもまあいいか、と思いながらも、LiSAがやたら「予定通りじゃなくても」みたいなことを歌うのは「予定」を立てる人の発想だったのだなー、とかつくづく思ったりして、やっぱり多少疲れるとしても予定を連続させていくゲームを放棄してはいけないのだ、

そういうわけで、せめてもの気持ちで、ずっと先延ばしにしていたフォルダ整理とソフトのインストールをやってから眠った。

0519

朝起きていちばん最初にツイッターをひらいたら、「LiSAさんにフォローされました」の通知がきていて、寝ぼけているのかと思った。LiSAは自分のファンのアカウントをどんなに小さくても歴が浅くても「そういうアカウント」であるとわかればフォローするタイプの人であると知っていたから、ああ昨日2年も前のツイートを引リツするような真似したせいか、、?とも思い、まるで認知されたかったかのような自分の行動を卑しい、と思いつつ、でも普通に、自分の本名大学居住地がぜんぶ書いてあるプロフィールをLiSAが読み、フォローボタンを押した可能性のあることを思うとそれはそれで素直に興奮するものだった。かといっていつもと変わったことは全然なにもない、ライブ中わたしがどんなに強い思いを注いで踊り叫んでも、LiSAの視界から見れば揺れ動くピンクのペンライトのうちのひとつであったし、それは今も同じことで、だからそのつまり、このままでいたくはない!

真面目に授業を受けている、最近はおおむねそういう態度になっている。履修の選び方がうまくなったから、ほんとにつまらない授業っていうのがないせい?先生のやり方によってこちらの絞り方を変える必要はあるけど、合わせてしまえばそれぞれからいい出汁がとれる。

授業で見た映像の中で鍵盤の素晴らしいプレイヤーがいて、そういう存在を見るとき、「世界にはスゲー奴がたくさんいるなあ!」と、さながら少年漫画の主人公になったような、そういうフィールドに自分が立たされる、立ってしまう。かといって、それだけで生きていけるわけではなくて、そのフィールドは分裂する自己のなかの一局面に過ぎず、シチュエーションによって自己が無限に切り分けられていくような心地がする。それで、人間たち、だれか、私でない個人たち、がどのように世界の中に自己を位置付けるのか?フィクションめいた自己を勝ち取るときなにが起こっているのか?どういうビジョンで世界ひいては現実を見るか?というようなことを考えていて、そのキーとしての、労働や仕事、というのはあるだろうな、と仮の結論をだした。労働・仕事には、社会の中で名前と役割を得るという効能がある。

そのような「一人称の獲得」についての興味があるがゆえ、脚本ではなく小説に惹かれるのだな、という気づき。

後回しにしがちであった諸々の手続きやタスクの書き出し、メール、などを少し進めたし、筋トレもした、床の拭き掃除もした。さいご寝る前に英語の課題をやろうとしていたところで、「作業通話」を繋いだつもりが、そのまま夜明けまで話し込んでしまった。めちゃくちゃ楽しかったからヨシ!セカイ系への不信感、女オタクの理不尽に肩身狭い境遇、ゲイビの奥深さと愉快さ、など。

0518

意味のない徹夜をしているうちに朝のニュースの時間がきて、LiSAを拝んで、謎の時間に眠って、ゼミに出た。つたなかろうがなんだろうが、とりあえずサッとスライド作りに取り掛かることができるし、やりたくないやりようがない、というあの気持ちにはならずに過ごせている、

先生が「進度は人それぞれ」とほんとの意味で言ってくれるのが今のところどんなにありがたいかわからない!

今日も前の家に届いた荷物をとりにいくために一瞬自転車に乗った。自転車というのはわたしのなかでずっと、誰もいない田んぼ道を飛ばすための乗り物だったから、街中のごみごみした道を、車や他の自転車、歩行者を避けながら、どこを走るべきか、どんな速度で通過するべきか常に考えながら走るのはほんとうに頭を使う。自転車って「速い徒歩」ぐらいの感じに思っていたけれど全然そうではないのだな、どちらかといえば、剥き出しの自動車。

帰ってきてまたすぐ家を出る、ミーティングの用事があった。友達に対して、舐めとか遠慮とか手抜きをせずに、本当の思っていることを言う、考えをちゃんとその場にあらわしてみる、ということをがんばってみている。普段は、ぜんぶ押さえ込んで確実に正解のことだけを言うか、ぜんぶひとりで考えて進めてしまうか、のどちらかばかりやっているから、新鮮な体験。

帰りにLiSAのアルバムをフラゲし、買い物も済ませ、雨が降っていたからなんとなくくたびれて帰ってきて、Abemaの特番を見つつ諸々を済ませ、寝る前に梅酒を飲みながらアルバムの観賞会をした。ヘッドフォンで、できるだけ良い音質で、歌詞カードをみながら曲だけに集中する、最初の1回がだいすき!いつもの「あの」LiSAの文脈にあり、かつ新しいサウンドにくるまれていて、新しいスタンスがコンセプトになってもいて、色とりどりカラフルで、すべて、全員、みなさま、ありがとうございます、と思った。

どんなに眩しい願いも越えてく、サプライズをくれるのは、あなたです、と思ったし、こんなに大きな声で、「やっと見つけたの、私、世界の愛し方を!!!」なんて叫べるひと、それも本当の気持ちでなんのしがらみもなくうたえるひと、いる??それを、「こんなに純朴で可愛い女の子、いとしい、がんばっている女の子」みたいな風にしか見られないようなステータスに自分がないことを、心から、よかった、と思った。もし自分がおじさんだったなら、安易にそういう文脈に回収するほかないだろうから。

時間がかかっても、ちゃんとまとめておぼえておきたいし、お手紙を書こうとも思う。

0517

2時過ぎに寝ると翌日の午前中が潰れることをいい加減からだで理解したい。朝の前に夜があってしまう、順序がそうなっているせいでめちゃくちゃ難しい。

授業のために上野へ行った。そこそこ歩くのに傘を忘れて、だから木々の下をできるだけ通るようにした、風に吹かれてルートをじゃまされそれができないときもあった。

大学のホールを見学する授業で、そこそこ楽しかった。数えるほどしかここでクラシックのコンサートを見たことがないのはもったいないな。しかし照明や音響卓がどういうふうになっているかということは知っているし、楽屋にも回ったことがあったので、いちばんときめいたのはパイプオルガンの間近に接近できた一瞬のことだった。それ以外はおおよそ、ただひたすら帰りたいな座りたいなと思っていて、なぜこんなに体調がよくないのか自分でもよくわからなかった。

家に帰った瞬間、気が抜けて頭が痛くなって一歩もうごけなくなった。頭痛薬と水を取りにも行けずそのまま少し寝て、起きたらもっとひどくなった。

テレビ生歌唱って歌手にとっていい環境条件がなにひとつなくて、いつもなんとか越えられるように、戦いを見守るような気持ちで見てしまう。

LiSAを見ようと思っていたから他のことには興味がなかったけど、平井堅も見られてよかった。実家の車で唯一聴けるCDが平井堅歌バカだったのは、幼少期も運転ができるようになってからの今も変わらずなので、あの頃の風景と最近の風景とがごちゃまぜになって、「ふるさとの景色」として迫ってくる。

誰かと話したすぎる、みたいな寂しさの症状は私にはあんまりない、たぶんこうして思ったことを書き連ねて他人がアクセス可能な場所に放っておくだけで、満足してしまうから。でも人肌に触れたい、みたいな種類の寂しさ、欲望はつねにある。

今更、置き配が前の家に届いてしまったことを知ったので、徒歩で回収しに行った。だるだるの部屋着とすっぴんであるくだけで防御力が減ったような気がするのはなぜ?そのぶんだけ、いざとなったときに狂人のふりをする心の準備をする。誰に責められるはずもないのに、もう自分の家でなくなった家の前に近づいていくのはビクビクする。

日付が変わる頃になってからやっと痛みが引いてきて、そこから米を炊いたり料理をして食べたりの、生活を始めてしまった、だからそのまま狂いっぱなしになって無駄に夜を明かしてしまった、

0516

昨夜、実家に帰ってきて、ねこと遊び、昼までたっぷり眠った。実家にはおもにねこのために一瞬帰ってきたようなもので、特に他に何かしたりはしなかったし、する余裕もなかった。

渋滞を避けるため、ということと、父母がこっちで買いたいものがあるから、ということで、早めに家を出た。北千住で買い物するとかは私にとってはいつでもできることだけど、とにかく思考と決断を放棄して親のペースに乗っかっているほうがこの場合楽なので、車の中で一冊本を読み終えたりして過ごした。それに、父などは特にこういうことでもなければ外に出てくることもないような感じなので、大袈裟に時間をかけて準備しているのをみると微笑ましさすら感じる。いつもこういう機会に、父母はあれやこれやと世話を焼いて私のための食糧を買ってくれるのが、とてもありがたいし申し訳ない。わたしは両親にいまだにかなり赤ちゃんだと思われているし、というかそう思いたがっている様子が見て取れる。親とはそういうものなのだろう、と思うことにしているけれど、人並みに「それぐらいのことは自分でできるよ」という反発と「そこまでしてもらって申し訳ない」の肩身狭さに苛まれることはある。ただそれでわざわざ扱いを変えてもらおうと戦ったりはできない。傲慢な考えかもしれないけれど、子供を愛するよろこびと、子供を世話する親としてのアイデンティティを奪いたくないのだ、それを奪って釣り合うような何かを提供できるような社会的地位にまだわたしはいないから。

0515

お昼に友人と待ち合わせをしていた。今日は夜、家に家族が来ることになっているから、ある程度、家をだいじょうぶな状態にしておかなくちゃいけない。自分がいないときに、自分の空間を人に見られるというのはたとえ家族であってもかなり嫌なこと。ちゃんとしていないところをあんまり見られたくないし気配を滲ませたくない。だから実家に帰るとか家族が来るとかいうたびに、溜まってる家事を一括して精算することになり、じわじわ時間と気力が奪われている。

弟が県大会で走ると聞いていたので、出走時間に遠くから応援のきもちを送った。

友人とは上野で集合して、ハンバーグを食べて、食後にわたしはアイスコーヒー彼女はアイスティーを飲み、それからまっすぐ、御徒町秋葉原を通り抜けて日本橋まで歩いた。歩き続けることは決断を保留し続けることで、そうやってだらだら無限に時を延長し続ける感じは案外、私の気質にも彼女の気質にも、一緒にいるときの温度感にも、ちょうどよく合っている。

けっきょく遠くまで来てドトールに入り、いっしょにハニーカフェオレを注文した。たくさん話をした。無限に話すことがある。早い時間に店を追い出されるのは残念だった。

もっと気軽に会おう、お互いそうしたい、もっとふたりの間がそうあるべきだ、みたいなことをどちらともなく確認して、さらっと別れた。もっと一緒の時間があるといいし、そのために自分で動こうと思う。

0513

授業が始まってからベッドから這い出るのではなくて、授業開始20分前に起きて顔を洗って着替えてトーストを焼いたりした。湿度が高くていやな感じ。かろうじて音楽を聴くことでやりすごす、

いまはライブハウスもクラブもないから、インターネットをさまよい歩きながら人場所界隈を見つけていくしかない

少し家で歌っていっただけなのに、先生に「喉が疲れてるね」と言われた、なさけない声帯!いや声帯に無理を強いているのはこちらのほうだ、いろいろな機会があって発声について知識をつけているので、そのロジックはわかるけどじゃあいったいこの深刻な問題をどうすれば解決できるのかはまったくわからない。顔の美しい人には悩みがないと世間では思われがちだけど、それはそんなわけないよと思う一方で、声に関してはそういうことをおもってしまう、特に音楽をやるにあたっては、歌が自在にうたえるってだけでもう勝ちだ、さらにオリジナリティのある音色まで兼ね備えていたらもうそれだけの武器でたたかえる。わたしのいるところはそんなレベルの話ですらなくて、世の中には「じぶんのこえ」を得ている人間と得ていない人間がいて、自分はその後者である、みたいな認識だ、声の出し方を覚えるまえに、なにかを歪めてそれを覚えてしまったか、またはもともと構造に不備があったか、わからないけど、いつもどこかで無理をして一瞬一瞬をやり過ごすように発声しているみたいな、、定期的にこの思考に囚われて何も手につかなくなることがある、そんなにそこにこだわるんであればボイトレは整形より安価なのだから試してみればよいのにね、

かえりになにか面白いことを探すために図書館に寄った。ジャズピアノを練習するためのテキストや図書、ゼミのために使う楽譜、ガーシュウィンの楽譜、を借りた。

帰宅して、鍵盤を弾いた。引っ越してから、音楽のやる気と音楽の焦りとに満ち溢れている。今更じゃ遅いとじゃあ今日から始めればいいを戦わす。ごはんも作ったしひさびさのジムで筋トレもしたし30分ぐらい浴槽に浸かって読書もした。