2時過ぎに寝ると翌日の午前中が潰れることをいい加減からだで理解したい。朝の前に夜があってしまう、順序がそうなっているせいでめちゃくちゃ難しい。
授業のために上野へ行った。そこそこ歩くのに傘を忘れて、だから木々の下をできるだけ通るようにした、風に吹かれてルートをじゃまされそれができないときもあった。
大学のホールを見学する授業で、そこそこ楽しかった。数えるほどしかここでクラシックのコンサートを見たことがないのはもったいないな。しかし照明や音響卓がどういうふうになっているかということは知っているし、楽屋にも回ったことがあったので、いちばんときめいたのはパイプオルガンの間近に接近できた一瞬のことだった。それ以外はおおよそ、ただひたすら帰りたいな座りたいなと思っていて、なぜこんなに体調がよくないのか自分でもよくわからなかった。
家に帰った瞬間、気が抜けて頭が痛くなって一歩もうごけなくなった。頭痛薬と水を取りにも行けずそのまま少し寝て、起きたらもっとひどくなった。
テレビ生歌唱って歌手にとっていい環境条件がなにひとつなくて、いつもなんとか越えられるように、戦いを見守るような気持ちで見てしまう。
LiSAを見ようと思っていたから他のことには興味がなかったけど、平井堅も見られてよかった。実家の車で唯一聴けるCDが平井堅の歌バカだったのは、幼少期も運転ができるようになってからの今も変わらずなので、あの頃の風景と最近の風景とがごちゃまぜになって、「ふるさとの景色」として迫ってくる。
誰かと話したすぎる、みたいな寂しさの症状は私にはあんまりない、たぶんこうして思ったことを書き連ねて他人がアクセス可能な場所に放っておくだけで、満足してしまうから。でも人肌に触れたい、みたいな種類の寂しさ、欲望はつねにある。
今更、置き配が前の家に届いてしまったことを知ったので、徒歩で回収しに行った。だるだるの部屋着とすっぴんであるくだけで防御力が減ったような気がするのはなぜ?そのぶんだけ、いざとなったときに狂人のふりをする心の準備をする。誰に責められるはずもないのに、もう自分の家でなくなった家の前に近づいていくのはビクビクする。
日付が変わる頃になってからやっと痛みが引いてきて、そこから米を炊いたり料理をして食べたりの、生活を始めてしまった、だからそのまま狂いっぱなしになって無駄に夜を明かしてしまった、