情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

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午前中はだらだらと家で読書をして、昼過ぎに山道を運転して母と初詣に行った。日は傾きかけ、吐く息は白く、カレーのスパイスの混じったような煙の匂いがしていた。おみくじは末吉だった。「学業:危ないです」と書いてあった。お守りを買うのはすこし苦手。あれは欲しいから買うというより、買わなければ悪いことが起こるかもしれない、そうした場合その責任を今この時の自分の決断が負わなければならない、という強迫観念があり、それから逃れるために買うやつなので、気分が悪い。

夕方からはねこと一緒に留守番をした。酒を飲みつつ曲を作ったりした。

黙っているときなら、見たりさわったり距離を調節したりして密なコミュニケーションを取れるのに、なにか話しかけようとすると途端に意思疎通がへたになる。なんか嘘みたいに空っぽな言葉を読み上げてるみたいになったり、取り繕ってひとりごとを呟いてるようになったり、かと思えば乱暴にぶつけてしまったり。話す以外の方法で交流ができればいいのに、もしできるのなら、それだけをしていたい、

うちには、つねにひとりでデカい声で怒っていて存在するだけで空気を悪くする人がいるので、不当な暴言も急に因縁つけられる理不尽もシャットアウトしなければならない。自分の都合で当たり散らしては自分の都合で機嫌を直すし、風呂場でぶつぶつ文句を言って怒りを増幅させては出るなり急にブチ切れてきたりするので、軽度の精神異常の類と考えざるを得ない、そうじゃなくては極度の被害妄想もそのための事実の捻じ曲げも説明がつかない、

自分のせいであることがどうしても耐えられないことも、いつでも褒められて感謝されていないと気が済まないことも、つねに自分の思う通りでなければ敵とみなすことも、極力その時々の気持ちとして、理解しよう、とつとめているけど、ときどき我慢ならなくなる、せめて、ひとを攻撃していることひとに甘えていることに自覚的であってほしい

今日はそういうことがなくても、自分のことでいっぱいいっぱいになっている、これがやりたいとかこれが好きとかこうなりたいとかこれを得たいとかそういう感情を直視してしまったゆえにどうしようもなく苛立ったり、知り合いの不登校の子の話をきいて高校時代の葛藤が現在にまたよみがえったり、あの死にたさがまるでなかったことにされている事実にショックを受けたりしていたから

実家にいるとこうして、やらなければならないこと以外の患いがつねにあって、「それどころではない」になる

罰が当たるの概念が怖い、誰も罰が当たるようなことをしないでほしい、キリシタンにはなれない、みんな幸せであってくれ