情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

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無意識下で人が時間をどう捉えているのかを知りたい

人はそれを意識していないのでそれを語らない、だからわかるのは分析で行けるとこまで、ということ

時間とは自分で始まりと終わりを区切らなくてはどうにもいかないっぽい

英語例文の「午後の予定は?」などに対する違和感は、何かしらチャンク的な予定の塊があってそのベクトルに沿って時が流れ自分が過ごしているかのような、その概念に全然馴染みがなかったからだ

太陽とか気候と体感の時間との間にどう折り合いをつけているのか

例えば設定した始まりと終わりはどの程度の拘束力を持って意識されるか

食事を時間的に均等に置くことに重要な意味を見出しているタイプの人について

常に情報を流し入れていないと不安な脳は二重の時間を過ごす、その弊害について

 

 

 

叙述と追想と意志決定は並列する?どれがどれの下位概念になる?

今過去未来で思考をモジュール化するとそうなるというだけの話なので他にもいろいろ分け方の観点がある

そういう分け方を考えて、物事を分けて、名前をつけて、組み立てるという行為が好き、論理が好きだから

(とりわけシェンカーの)音楽分析は、前景後景と層構造のヒエラルキーがあって、音楽を単純化して削ぎ落とすことで本質を見ようとするし、部分に分けて各部分に名前をつけることこそを音楽分析と呼んでいるようだし、これはまさに全く同じことだ

しかし論理とかモデル化とかはいつも細部を取りこぼす、あなたの理論という独善的な枠組みを押し付けて現実を歪めないでとよく先生に注意されたよな〜

こういう経験が私の一手をより慎重に重くしてゆきます

 

 

整体の人が身体の形を見て人の生活の癖や不調の傾向を言い当てるやつにめちゃくちゃ魅力を感じている。整体と精神科のカウンセリングはずっといつも基本的に行きたい。自分の体について心について知りたいという究極的な欲求がつねにありもはや贅沢な娯楽ではないかと思っている

また最近は二重整形や全身脱毛やホワイトニングやほくろ除去みたいな「身体の加工」の魅惑についても思いを馳せがち、これは上とちがって禁忌のにおいがあるし、より強く人間の願望を喚起する

身体、それも爪や髪など周縁ではなく肉体を、カスタマイズすることに対する不安、それと表裏一体の魅力

 

 

 

ピアスを開けたくなかったのはこれとはまた違った理由で、穴を恐れたゆえのこと

身の回りのおとなの何もつけない裸のピアスホールが強固なイメージとして焼き付いていて、それは成人女性の穴、という概念を想起させ、私はそういうのから逃げたかった、せめて耳は、よりにもよって耳だし、だったら丸ごと耳のそのものか裸でありたい、ということで、そう決めた次第、

性自認が人一倍女なので、女性性と少女性の間で行ったり来たり死ぬほど醜く足掻き、大丈夫な場所で各々解放して、大丈夫なバランスを取っていくのに必死だ

少女性という言葉、反吐が出るような使い方ばかりされるが、実感を持って少女性と表せるあの性質のことを知っているし、わかる?と問いたい、わかる?