情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

1231

年末の買い物に付き合った。服をいくつか買った。食品売場は混んでいて、大量の雑然とした情報に加えていろんな方向に人が動くのでかなり嫌だった。おばあちゃんの家で年越し蕎麦を食べた。こたつでみかんを食べながら文庫本を読んだ。夜中の初詣には行けなかった。初めてねこと年を越した。

我が家ではおきまりのパターンの揉め事のうちに新年になった。自分の感情は押し殺して、相手ののぞむ態度でなければならない、つねに正解があって、権力構造的にそれから逃れることはできず、それでいて一度でも間違えたらそれまで積み上げてきた正解が全部なかったことにされる、あの気持ちを知らずに大人になれた人たちが羨ましいな、と思わないことはない。家族に対してでさえそうなのだから、他人にはつねに温厚にしなければならない、かつその心のうちに冷酷なまなざしがないのなら、それはそれで信用ならない、そういうふうに思ってきたがこの冷酷というのは本当に不便で扱いにくくて、苦しい

2020年、アルバムを振り返ってみたが、ちゃんと人と写真を撮ったりおしゃれに記録に残したりを怠ってきた、照れとかが邪魔をして、だからスクショか散歩の記録ばっかりですこし寂しい。ただでさえ考えるばかりのたちなのに、今年はひとりで悶々と考える時間ばかりだった。 なにかになるといいな。2021年は、消化不良の全部を注いで、動きたいな