情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0619

学校に忘れた傘を回収しに行った。その間は雨に降られ、そうすると雨粒と皮膚の境界を意識し、体の熱を感じた。

カランコエの花、あの脅威の世界のざわめき、その中でお守りのようにかがやく赤い髪飾りのこと。

チョコレートドーナツは、なんど観ても新鮮に怒り涙することができる。怒りや恨みやそれに対する戦意や勇気とはまた別に、なによりも力強い愛を見せつけられ、目が眩むような気持ちになる。

そしてさらにそれとは別に、この劇中のcome to meの音楽と映像による情緒について、誰とも語りあうことができない。だれともわかりあえない。こういう領域のことも大切にしたい。

映画を見て涙するとき、ああ本当は何もかも愛も夢も熱も?とっくに諦めていてもおかしくないはずなのに、こういうものが世の中に存在してしまうから、諦めることができない、熱を、という気持ちになる。人を愛したときもそうなる。

ラフィキを見ているときはずっと、大切なひとを守れない現実とそれでも愛に向き合う誠意と反対に誤魔化す正義について考えていた。

 

ふつうの異性愛でない物語、を見せてもらえるだけでも、勇気が湧く。

このときわたしが自分が性的に如何なる存在であるかということは何も言っていなくて、そうでも、強いていうなら、クィアか非クィアかを選ばなければならない、それを明言させられている、みたいな気持ちになる。

性について特段気に留めないようにして、あるいは自らを順化させていくように努める人生か、もしくは性を探究し疑い争いあるいは使いこなそうと四六時中藻掻く人生か、それはどちらかしか選べない。

 

ジェンダーやセックスや女性や戸籍について、の本をいっぱい借りたくなって、閉館間際の図書館に駆け込んだ。読みたかった本のほとんどが閉架にしまわれていた。あちこち歩き回ってやっと、これから自分がどこの本棚をテリトリーにすべきかに目星がついた。

生理痛のじっとりした痛みでぜんぶのやる気を削がれる。

自分の体のために風呂を沸かしスープをつくる。浴槽をよごしても大丈夫なことがうれしい。

風呂上り、やわらかくなった肌をうっかり壁に擦ってしまい皮が剥がれた。おそらく自分には女体そのものへの根源的ないつくしみの気持ちがあり、だから自分の体に対してでさえも、せっかくこんなに綺麗なのにごめんね、と思って反射的に擦り傷にキスをする、

お腹が冷えるから、紅茶を淹れた。マグカップをおなかに当てて温めた。