情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0614

なんにも面白くない、最近はすべてに対してのモチベーションが皆無。なにもする気が起こらない。他の人もそうっぽいから、そういう時期なのかもしれない。

もしくは生理前だから?生理周期が40日とかなの本当にイカれている、でも肌の調子がわるいし、食べ物への欲求がつよいし、情報への飢えの感じでじっと動かず小説やドラマを見たい傾向がつよまっていて、この状態は生理前の雰囲気だ、はやく銭湯に行かなくちゃいけない。

ここ最近、長期的な意味での最近、とにかくどこにいてもつねにうっすらと帰りたい、家から電車に乗るまでの10分の間でもう既に帰りたいし、家にいても帰りたい。私は本当は、基本的に何もしたくない。ご飯を食べるために働かなくちゃいけないのも嫌だし、なんならご飯を食べなくちゃいけないことすら嫌だ、何もせず最小限のエネルギーの状態で呼吸だけをしていたい、油断するとそういうふうになりそう。でも学校に着くまでの道を歩きながらLiSAの曲をいくつか聴いていたら、そういうのは全部消えて、外向きのエネルギーだけの状態になった。高校のときにもずっとこうしていた。私はこれからも歩きながらLiSAの曲を聴く時間を最初につくるために、職場とかが必要なのかもしれない。

 

授業で知らない人たちとアクションシーンの場面を考えて発表した。こういうことをするのがすごく嫌だからやれてよかった。嫌なことできないことをやりたい。今日の先生も「目立つことが好き」だったと言っていた、これは最近のホットトピックなので反応した。マジでどういう感覚かわからない。

例えば今日みたいなとき、空間に対してどれだけ自分の色が滲んでいるのか、その出方がぜんぜんわからず、極力周囲になんの影響もない状態で存在できるように影を潜めたいと願ったり、そうすると実際に誰にも見られていないような気もして、消極的な方法で自分の実在をたしかめようとしているような気分。

私と違って急にひとりで場違いな大声を出したりとか、とにかく自分の行為で空間に影響を与えるのをおもしろがってるように見えるような人たちのあの振る舞いが、「目立つことが好き」の感じなのかもしれない?体育館が自分の声で満たされているあの時間が嫌じゃない人間がいるのか、

 

小さな声でしゃべる人の声は、ききたい、と思って注意深く備えないと聞こえなくて、つまりこっちの耳をひらいてくれる。

帰り道は小雨が降っていた。同期としゃべった。地下鉄の先頭車両の景色がめっちゃ良かった話をしてくれた。地下鉄の景色の中にふといいものを見つけていること、それを動画に撮ってた時間のあること、それを自分に話す選択をしていることのすべてが良い。

 

無音の部屋がなければ日記を書けない、最近はずっとアマプラとユーチューブのもたらしてくれる雑音に甘えていた。

「ちぐはぐな身体」に、人間は自分の皮膚の境界をたしかめたくて肌を掻きむしることがあるとわりと一般的に見られるような口ぶりで書いてあって、そんな現象があるのか?と思っていたけど、自分もその癖のあることを思い出した。

顔にできるニキビをさわったり掻いたりしてしまうときは、じっと座って勉強や考え事やネットサーフィンをして、まるで自分が脳だけになったように、意識の中に自己が埋没して、身体がどこにあるのかわからなくなっているときばかりだし、そういうときに頭皮を掻いたりする癖もある。とか、危機を感じた時その場から逃げたくなった時コミュニケーションにストレスを感じた時、などに右手親指の皮を人差し指で掻きむしってボロボロにしてしまう癖も、小さい頃から今までずっとある。今日手の甲をフライパンにつけてしまって火傷の腫れができたのが妙に嬉しくて綺麗にすら思ってやたら触ってしまうのも、なにか別の、「ちぐはぐな身体」に書いてあったことと関連がある。

月曜日は毎週意味なく徹夜になってしまう、でもここでいったん取り返さなきゃ今週の先で死ぬから、がんばらなくちゃいけない。