情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0613

父が仕事の関係で明治座の演劇チケットをもらってきたので、父と弟と行くことになった。最近は常々「演劇を見たい」の気持ちが高まっていたから、どんなものであれ嬉しい。

人形町は、浅草になりきれていない街、みたいな雰囲気で妙だった。おいしいものはたくさんありそう。

観客にやたら、扇子を持ったおばさまみたいなのがいたのがおもしろかった。それで口元を隠して笑う。

明治座はテレビ局の提携の舞台が多いとウィキペディアに書いてあった。今日のは、友近が主役の、芸人さんがいっぱい出るコメディ劇と歌のステージだった。だから別に話は面白くもなくて、でも4時間ぐらいあって内容が盛り沢山で、案外かなり楽しかった。

友近さんの声はあんなにもパワフルだったんだ、と驚き、あれだけパワフルな声を持っていたら歌うし喋るし芝居するよな、みたいな気持ちで見ていた。生駒ちゃんはごっつい衣装着せられても華奢で、遠目で見てもモーションが可愛い。武田真治さんのサックスが実際に本当に上手いのも可笑しかったし、歌の間奏でめちゃくちゃいいサックスソロを吹いたとき、誰ひとり拍手をしようとしなかったのが面白かった。文化が違うということ!

阿佐ヶ谷姉妹を見たかったな、とか思っていたけど、その代わりにハリセンボンのおふたりを見られて、それもすごくよかった。春菜さんのトークと台詞のテンポ感、流し方と回し方が完全にプロの仕事という感じで、場の空気を敏感に鋭敏に察知しているようだったし、パートの流れをコントロールしていた。そして角野卓造じゃねーよのやつを言うときの言葉の圧?ぜったいにウケさすぞ、というよりは、ここであなたたちはウケます、みたいな有無を言わさぬ絶対の力に、客席の全部が引っ張られ操られているかのようで、すげえ何これ!と感動してしまった。本当にすごかった。

はいだしょうこさんが、劇の中で怒鳴り散らす役をやっていたのを見れたのも、本当にめちゃくちゃ嬉しかった。しょうこお姉さん世代で、狂ったように「おかあさんといっしょ」のビデオとかを見ていた子供だったから、生歌を聴けたのも感慨深かったし、しゃべり出すと本当に意味不明なのもかわいくて、しょうこお姉さんをかわいいと思う側になっている自分、という状況が発生したのもよかった。正直しょうこお姉さんの歌だけをめちゃくちゃ沢山聴きたかった。

マツコデラックスが歌っている姿を見たのだ、ということも特筆すべき出来事で、めちゃくちゃ声が大きく太くてなんで歌がうまいんだよ、と、そりゃ上手いか、が半々だった。弟は感情表現が最小の状態でそれを見ていたし、前の女性客のグループがみんなで騒いで笑ってるのがすこし羨ましかった。本当にあのマツコの話法、トークの展開、をやっていたし、ピンクのスパンコールの衣装につつまれたすごく大きなお腹を見ていた。

 

こういう風に、人で演目を見る、というのが、おそらくこういう類のものの楽しみ方という気がする。その人がそれをやる、その人を生で見ている、ということ自体の面白さ。キャストをみんな知っていたから楽しめたんだろうな、みたいに思う。

それと似て「固有名詞で笑かす」みたいなやつ、おそらく主な客層との世代の違いとかで、全然わからず、笑いの輪の中に入れず、あれはほとんど外国語をきいているのと一緒だな。

笑いは輪で表現されるように、何かをみてその観客として笑うとき、その輪の中に「取り込まれる」の感覚がある。笑いたい人はそこに一体化したい欲望だし、笑いたくない人はその集団の中に入ることを拒む反抗心や警戒心。

 

帰りにすごく美味しくてコスパのいい天ぷらを食べた。天ぷら嫌いの弟があまりの美味しさに困惑していたほどの!

それから父に、友達のプレゼント用のネクタイ選びを手伝わされた。ネクタイの結び方もわからんし、ネクタイを日常的に使用している大人が身近にあんまりいないし、男性のスーツに魅力を感じないし、全然よくわからなかった。店員さんが色々言ってくれるし、人がネクタイを選ぶとき何を考えているのかについて初めて考えて、観点を得て、新しい発見だった。