情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0609

ちゃんとしようと思っていたし、朝からきちんとメイクも着替えもしたのに、昼食後に抗えない眠気がやってきて、寝転んでメイクも髪も崩れたし、頭痛もきて結局対面授業に行くのをやめちゃって色々うまくいかなかった。

勿体なさの感情だけでとりあえず家を出てみることにして、靴箱にあった、買ったおぼえも履いたおぼえもない女の子みたいなサンダルを引っ張り出して履いてみたりした。気分はよかったけど、両小指が擦れて腫れたし、その腫れの形にだけはおぼえがあった。

ぬるい夕方の風がすごくよくて、ビールを買ってそのまま短い散歩でもしたい気分だった。でも今日の夜家に友達が来ることに急遽決まったから、なんとなく飲むのは不義理な感じがしてやめておいた。律儀だと思う。

そんなことより、とりあえず化粧下地を買わなくちゃいけなかった。北千住のイセタンミラーみたいなとこの店員のお姉さんたちは、あちらこちら、女性客と女性客の間を不規則に行き来していて、花に止まる蝶のような挙動だった。そのうちのひとりに声をかけて、いまの種類が最善の選択であることを確認して、同じものを買った。

 

ZOCのアルバムが出たのを機に、大森靖子さんのことをすごく考えている。

飼い慣らされない生意気さをパフォーマンスでやれちゃう人についてとか、そうじゃなさについてとか。

大森さんは、過去に対談で「田嶋陽子さんみたいな(存在になる)のは嫌ですよ」と名指しで言ったとかが原因でフェミニストの人との決別があって、著作とかインタビューとか事あるごとにフェミニズムに触れている。好意的ではもちろんない。歌詞の中でも「スニーカー履いて歩く速度合わせなきゃ 自立じゃないとかナメてんの?」とKu tooに関連するような内容を歌わせていたり、「フェミっぽい癖にこっち全否定 女の子じゃなくて自分じゃん 苦労してない顔面にわかるわけない乙女心」と歌わせていたり、後者に関してはわりと直球で、文脈がもし本当にそうならアウトになるようなことも言っていたりして、だから考えることがたくさんある。でもその後に「私を見て 彼氏のスペックで決めないで私評価して」と続けているのは、要するにそういう形での女の子の自立、強い女の子、女の子なりの勝ち方、を提示したいというあからさまな宣言にも見える。

個の描写と肯定をずーっとやってきた人だから「主語がデカい」的なことと美学が反していることもよくわかってるし、自分もそこに救われてきたわけだし、かといってそれが運動をやっている人を否定していい理由には全然ならないんだけど、それはもう過去に決裂があって敵になっちゃったからということもわかっているし、みたいないろいろなこと、ちゃんと丁寧にまとめたい。

 

家に友達が来て、制作に協力するということで着物の写真を撮った。うちの部屋はでこぼこしているから、それがちょうど背景の布地を貼るところになった。

そのあとは酒を飲んで、夜明けまで喋った。ドライフルーツとチーズと柿の種のつまみを貪り、酒の後に気付いたらペットボトルの茶を2本飲んでいたから、翌日に響きはしなかった。

毎日メイクしたり、髪整えたり、マニキュア塗ったり、何を着るかにこだわったり、そういうことから作品の題材を見つけてしまうけど、だってそりゃ当然、その時間少しくらい報われたいよねえ!と叫んだのがやけに印象に残っている。

それから、あざとさという武器についての話も。

 

フェミニストは恋愛をしない」「フェミニズムは美や恋愛を否定する」「フェミニストはブスでモテないババアだ」は絶対に間違っているけど、「フェミニズムに逆光するやり方を採用することで恋愛や人生を謳歌する女性」はものすごく沢山いる、ということ。だから、極力、そのことで現に苦しんでるわけじゃない友だちにフェミニズムの話をするべきではない、してはいけない、みたいな気持ちがあるんだよな

大森靖子のことも、友だちの話も、最近読んでる彼女の沈清も、ぜんぶがいっしょくたになって、そういうことを考える