情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0524

無駄に長く眠る。眠りたいという気持ちがある以上は無駄に長く眠ったわけではないのかもしれない。ここのところずっと便秘気味だし、生活も滞り気味だ。とりあえず昼なのにカーテンも閉めっぱなしでダウンライトで過ごすのはよくないのではないか。

わたしは目の形が左右でかなり違うので、鏡をみて今日も少しギョッとした。人に不気味な印象を与えかねなくて、つまりそれは損なので、マジで整形した方がよいかもしれない。

授業に一応出席しながら、徹子の部屋をみた。意識は0:10でテレビに集中していた。これは、ファンではない人が見てもかなりのほっこり回だったのではないかと思う。LiSAは「純粋でかわいらしいお嬢さん」のようにそつなく振る舞っていて、それがすごくよかった。どれもこれも、いろいろな場所で何度も語ってきていることだったので、もう自動的にそれについて語る言葉がキャッシュとして残っていて、それを引き出して並べればよいだけの状態なのかもしれない。スラスラと文がつながってゆくので、台詞を暗記しているかのようだった。それもあって、つるつると表面を滑っていく会話が心地よかった。

海鮮丼が食べたい、と、アイスコーヒーがのみたい、を両方思って、どちらも買いに行くことにした。海鮮丼の入ったビニール袋をさげたままドトールでコーヒーを注文するのは恥ずかしかった。

 

色々思い出してしまって収拾がつかなくなり、6000字めちゃくちゃに色々書き綴った。この日記には主に思考の結果を書いているだけなので、本当の感情や愛についての滾りについては、もっと別のところに遣っているのです。重く湿った「気持ち悪い」とも言ってしまえる愛の感情は、「胸から突然美しい花が咲いたようなもの」だと、詩を書く人がSNSでそう言っていた。わたしは鮮烈な愛をわりと何年も持続させることのできるたちだと最近気づいた。持続が得意であり同時に、関係を断つとか終わらせるとかいうことは本当に苦手。

誕生日をきっかけに、2年ぶりぐらいに連絡をくれた、会ったこともないけれど一時期とても大切だった女の子がいて、その子とわたしは、お互いの花のことを知っている唯一の存在だったけれど、もう彼女はその花をなくしてしまったらしい。花の秘密のことで通じ合えた関係だから、花をなくしてしまった今、私と彼女が関わり合う理由もなかったし、均衡で対等な関係が築けるわけもなかった。でも「あの花が悪いんだ」と言っているようすはまるで星の王子さまみたいだったから、いつかまた、かけがえのなかった花のもとに戻れることがあるかもしれないし、そうだといいな、と遠くから願うほかできることはない。わたしも、世界にとってはありふれた花かもしれないけれど、私がそれを見つめる目、分け与えてきたすべて、費やしてきた時間、によって輝いている、世界でたったひとつのバラの花を、これからもだいじにだいじに育ててゆく。たとえば今日みたいな行為を通じて?

 

ほったらかしになっている課題や家事から現実逃避するように、なんとなく開いた本を、そのまま一気読みしていしまった。「君は永遠にそいつらより若い」。今考えていることと接続が深すぎて、まったくそういう直感ばかり自分は冴えている。女と女の愛の話。愛というのもまた、必ずしもラブストーリーのラブではなくて、相手の被った暴力をともに引き受けようとする、いや、どんなことを以てしてもそれを分け合うことは絶対にできないのだという絶望のもとで、それでも傍にあろうと行動する、そういう形の愛。そしてふたつの孤独な魂について、それから、弱者の連帯と救済について。

わたしはこれを読んでいるときに、3つのことを思い出した。ひとつは、小学生のときに目にしたニュースのこと。某地で起こった監禁事件。首謀者の女が一家全員マインドコントロール支配下に置いて、監禁し、犯罪を行わせ、殺したという話。妙に覚えているのは、ときどきその家のトイレの窓から助けを乞う声を、近隣住民が聞いていた、という部分についてで、わたしは彼だか彼女だかわからないその人が、どんな気持ちで助けを乞い、どんな風景をみていたのか、どんな心境であったか、何度も、ありありと想像した。そして、なぜ自分は今もこうしてのうのうと生きていてよいのか、今もそのようにどこかで助けを乞うだれかがいるのではないか、どうしてその側に自分が在り、助け出すことができないのか、と考えるのだった。

ふたつめは、中学の同級生の女の子のこと。その子は、基本的には明るくてよく喋る気の良い友達だったけれど、ときどき、帰り際に農協で駄弁っているときなどに、家庭の問題や、自分の抱える視覚障害のことを話してくれた。その学校行事で、プラネタリウムを見たかもしれないし、見ていないかもしれない。本物の星空を見れないからプラネタリウムを見られて嬉しい、という話だったか、それとも、プラネタリウムの星空が見えているふりをするしかなかった、という話だったか、鮮明には覚えていない。そういうところが発端だったような気がして、合宿所の窓際の二段ベッドの下の段で、どうして自分にはいつもいつも、一緒に泣くか、手を握るか、抱きしめるぐらいのことしかできないのだろう、とこんなにも無力な自分が悔しく、でもそうするしかなかった夜。そういうことはそのあとも何度もあった。彼女もまた、わたしがクラスの男子に面倒臭く不快なちょっかいをかけられるたびに、過剰に、なぜそんなに、というぐらい、毎回、怒ってくれるのが、本当に嬉しかった。

そしてみっつめは、「どうかどうか、大好きな大切な女友だちが、社会や男やあいつらに、傷つけられることも脅かされることもありませんように」と祈る最近のあの気持ちのこと。そしてもしも、万が一そういう目に遭ったとしたら、考えたくもないけれど、そんなに甘いことは言っていられないから、万が一、そうなるとしたら、そのときは自分が傍にいて、そいつを殴るか、ともに暴力を受けるか、ともに泣くか、なんとかできますように、なんの役にもたたないとしても。本気でそういうことを考えている。ちいさいトラウマにとらわれつづけているみたいで少し恥ずかしいね、

それでもう、なんというか、ただ、好きな女たちにも、これを読んでほしいな、と思う。あんまりわからないかもしれないし、傷つくけど、希望だし、前半はじゅうぶんに笑えるから、とにかく読んでよ、と言いたい、だれにというわけでもなく。

 

こんなんばっかして、ほんと、なにをやってんだか!でも、なんとか逃げなかわしなとこの前言われたような気がするから、なにかしらよい逃げ道をつくってやり過ごそうと思う。とりあえず茶を煎れる。湯飲みを買わなければ、誰にも茶を振る舞えないな。化粧下地がなくなってきているけれど、BAさんが怖いのでいつまでも買いにゆけない。自分が湯飲みと化粧下地のどっちを先に買うかはまったく検討もつかない。どちらが差し迫っているかもよくわからない。からだの節々が痛いので眠りたい。