情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0522

全然早起きではないはずなのに昼に家を出るのがきつすぎて、また朝のしたくRTAになった。今日はたのしい用事。京葉線って懐かしいはずなのに車窓の風景がいいからおでかけの気持ちになる。

野球を見に行った。球場はわたしにとって数少ない「ひとりでは行かない場所」のひとつで、いつも誰かに連れて行ってもらう。今回は酒が売っていないし、ビールの売り子さんもいないし、応援歌もない、なごやかでゆったりした雰囲気だった。

今日は初めて勝ち試合を見た。

野球の試合って時間の流れ方が独特で面白い。スピーディにエネルギーが躍動する、いかにもスポーツ的な時間が流れるバスケの試合とかとは違って、じっとりゆっくり、適量の緊張を保ったまま長い時間が流れ、その緊張の濃淡が変化する局面がところどころでやってくる。

また試合の進行の合間を縫って、こちらのベンチ側では、わたしと友だちと、ふたりで作る時間も流れる。球が投げられるその合間で、息継ぎをするようにお互いの話を挟み込む。

ホームランが飛んだとき、視界に入るたくさんの人が、反射的にバンザイをしていた。わたしもさせられた。人が咄嗟にバンザイをするのだというのを理解したことがすごくよかった。

ワッと湧くような熱い展開になったとき、自分の中と外の境界が曖昧になる。ボールが滞空している間、時が止まったみたいになる。その熱狂は一瞬のことで、試合は先へゆくし次のボールが投げられる。それに慣れなくて、いつまでそこに浮かされていてもよいのか、あたふた、どぎまぎしたけれど、たぶんスポーツ観戦が好きな人って、これがたまらないんだな!めりはりのある試合をこれまであんまり見ていなかったから、初めてこの感覚に触れられた気がした。

試合後、フードコートで友だちと横並びにすわって甘いものを食べたときは、ほとんど止まりそうなぐらいゆっくりな時間が流れていた。ぬるくてやわらかく尊い感触の時間だった。この人との会話は、なにかが得られなくても気づきが一切なくても全然よくて、そういう生産的なことがなくても、そばにともにあること自体で完成してゆきたいな、みたいな感じがある。

夜の公園の誰にもみつからないところを探して酒を飲んだ。しかくくて広い魔法のじゅうたんみたいなベンチは居心地がよくどこまでも行けそうだった。友だちは素面だし「お手洗い」という言い方を崩さないのに、公園の植え込みのところでいっしょに放尿させてくれた。秘密でいたずらでじゅうぶんに強くて誰のことも傷つけない最高の行為として、すごくよかった。

きっちり守った終電の中でもらった誕生日プレゼントを開け、お手紙をよみ、うっかり少し泣いた。