情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0409

昨日は比較的早めに床についたのに、精神的な負荷が大きかったせいか、全然早起きすることができなかった。いちど8時半に起きて、気がついたらまた寝ていて、つぎに起きたら授業が始まってもう半分過ぎていた。即座に起きてZOOMに入り内容をメモしたりなどする、面白かったのでちゃんと聞いて文脈を見たかった。

昨日買えなかった教科書のために上野まで行く。たいしてやりたくもない語学のために5000円、教科書は高すぎる。

そとはつめたい色合いの曇り空で、上着を羽織ってきたのにすこし肌寒い。教科書の入ったリュックをコインロッカーに預けなければならなかった、ストリップ劇場に行くぞと決めていたから!上野のストリップは不忍池のちかくの地下にある。事前調査を念入りにするタイプなので、ストリップのZINEをいまいちど読み返したり、スト客さんのツイッターをみたり、劇場のホームページを見たりして今日にそなえた。上野はホームページの雰囲気も古くさかったし客席も少なそうで、初心者でも行きやすいのは浅草か渋谷だろうと思ってはいたものの、やっぱり上野のほうがスタンダードなストリップの形式と雰囲気のようだったし、ネット記事で名前を見たことのある踊り子さん出るのは上野の方だったし、などいろいろなことを考えて上野に突入した。

黒い扉を開けて最初に思ったことは、「ステージが近い!!!! 」

肌の質感や香りまで感じて、狭い空間だからこそ、そのすべてを踊り子さんの存在感が満たしていた。それほど激しい振りでないのだとしても、あまりに近いからそのぶん威力が大きくて、踊り子さんのひとつひとつの所作に動揺した。

 

・お客さんは、わたし以外全員おじいさんだった。いや、おじさんかお兄さんぐらいの人もいた、彼は結婚指輪をはめ、踊り子さんのポラでファイルをパンパンにして、演目中も必死にノートになにか書き付けている、ガチのオタクの様子だった。

しかし客層がいいというのは本当で、立ち見していたわたしに「あのへんで見るのがいいですよ」と誘導してくれる人がいたり、前を通るときに「すみませんがちょっと失礼します、」と丁寧かつ遠慮がちに会釈をする人たちがいたり、わたしのような若い女性客がいても嫌な顔することなく、かといって必要以上に気にすることもなく、ただその場にいることを許してくれて、とても居心地がよかった。

激しい踊りを披露した踊り子さんの体が汗ばんでいて、綺麗だな、とか考えてたその瞬間、最前列のおじいさんが即座にどこからともなくうちわを取り出して、風を送り出したのを見たときには、感動と驚きで思わず笑ってしまった。

・はじめのうちは、人が衣服を脱ぐのを直視するなんてことに慣れていなかったから、はじめのダンスシーンの時点で「もういいよ、もうこんなに綺麗だから、脱がないでくれ!!」の気持ちがあった、おそらくそれほどじぶんの中で人の裸を見ることがそのまま加害とつながっていたから。

・実際に性器を思いきり見せる姿勢をとる局面は都度都度あって、そのたびに拍手が巻き起こる、ようするにそこが「見せ場」ということになっている、のが、なんとなく居心地がわるく奇妙な、不思議な気持ちだった。

次第に性器を見せアピールするというのは形式で型なのだということがわかっていった。

・実際に女性器なんてそんないいもんではない、自分ももっているからたいして珍しくもないし、見た目もローストビーフのようで美的ではない、、こうして光の元に晒してみれば、いまされている女性器への過剰な意味づけは後天的なもので、じつはなんてことない、ただの人体の部位のひとつだな、とかえって思うような気がしたのが不思議だった

・女体のうつくしさは女性器なんかではなく全然ちがうとこにいっぱいある、肌艶と脚の付け根の血管と、など、そういうところばかり見ていた、めちゃたくさん美しさがある

・客がおじいさんばかりなのに、ハードでロックなサウンドの音楽やボカロなんかで踊ったりしていて、衣装もかなり奇抜だったりして、ようするに「観る人がどういうものを好むか」の需要に寄せて演目を準備してない印象をうけた、むしろ同年代のわたしなどに刺さるし、そういう選曲になっている、ふつうに女の子がやりたい曲でやりたい踊りをやってるんだと思う

・私の方をすごく見てくれたり、振りの中でこっちに手を伸ばしてくれたりする踊り子さんがいる、その一方で、決してこっちを見ない、見ていないよ、という体をとっていて、どこでもない遠くを見ているような踊り子さんもいる。前者は「見ていた」はずの私が「見られる」存在になるわけで、立ち位置が転覆するということ、これは怖かったりスリリングだったりする。わたしは単なる社会の規範の延長として会釈とかしちゃって、そういうのたぶん、作法としてめっちゃださい、仕草に頼っているから、と思って、途中からはやらないように気をつけた。後者のスタンスは、客席との間に断絶があり、「「安心」」がある。これは見る側の特権性が危ぶまれることなく保たれることへの安心なのかもしれない。視線が交わされることがない、というやさしさ。

見ることを「見合う」ことで許してくれているのか、「見ていることに気づかない(ふりをしている)」ことで許してくれているのか、ということで、いずれにしても私は踊り子さんに許しをあたえられた。

妖精さんみたいだ!!と思った人と、天女さんみたいだ!!!と思った人のポラを撮らせてもらった。妖精のおねえさんはシャープでうつくしいかたちの顔とからだをしていて、気怠げな雰囲気がとてもとても好きだった。いまのところの推し踊り子さん。天女のおねえさんは叶美香さんのゴージャスさをキュートさに振ったような感じなのだけど、ほんとうにやさしくて、大学生だと話すと「踊り子さんたちからいっぱい力をもらって、大きく羽ばたくのよ、」といって笑顔で背中を撫でてくれた。

・わたしのような若い女の客を受け入れてくれるのはやっぱりストリップがショーだからで、飛田新地に迷い込んでしまったときにそこの女性たちから向けられた冷ややかな視線とはまったくちがうものだった。

・ポラ撮影の時間はすこし苦痛だった。見たくなさがある。照明を受けて輝いている時とは、よくも悪くもギャップがある。

ふつうに男の人にえっちなポーズを要求されて、仕事としてそれにこたえる女の人の、なにかしらのポーズが伝わってきてしまうから、生々しい。嘘みたいに明るい挨拶で鉄壁の守りをしているようにみえる子もいたし、母性でもってこたえているようにみえる人もいたし、ちょっといじけてひねくれてみせる子もいた。すべてそういうのが敏感に伝わってきてしまう、女だから!

・踊り子さんたちは、それぞれの体型に個性がありながらも、みんな「踊り子」の身体をしていた。踊るためのからだ、脚や前腕や背中に鍛えられた筋肉がある。骨格が目立ったり、すこしむっちりしていたりというのは、あくまでその中でのバリエーション。だから、それは私と全く同じのただふつうの女の体として見ることになるんではなくて、「踊り子の女性の体」という線引きがある上で見てしまっている気がした。

・「性器を見せている=女の子がいちばん大事な部分を曝け出している」のに感動した、みたいな論調でストリップの感動を伝える人は少なくないけれど、あんまりそういう気持ちにはならなかった。それよりも、「見ること」が暴力的であるという前提の中で視線を向けること、ふだん視線を浴びないところを視線に晒すこと、そういう中で暴力が解体されて許されること、その経験の中で救われること、そういう点での感動や涙だったと個人的には思う。

 

家でご飯をたべながら、今日出演していた踊り子さんのキャスを聞いた。実名のアカウントであることとかどうでもよくなって、今日の感想をコメントした。

そのあとは梅酒とアイスで部屋を暗くして、人と電話をした。ふるい信頼する友だちはみんな、私がこうであっても(こうだからこそ、ではなく)付き合ってくれているということだから、無遠慮にふるまうことをゆるしてくれる。いつものごとく夜明けまで話して部屋が少しずつ明るくなっていくなかで眠った。