情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0408

ここ3日ほど、何時に寝ようが5時半前に目が覚めてしまう、これはたぶん朝日の明るさのせいだな、と思って、今日は二度寝をやめてみた。ふとんにくるまったまま読書をし、洗濯をし、ゆっくりPC作業をしたり朝ごはんを作って食べたりして、掃除機までかけてもまだ時間があった。時間があれば、ふだんできないことまで手を出せる、棚の上を拭いたり、爪の先を塗ったりとかそういうこと!これだけいろいろしたからもう昼過ぎかななんて思えばまだ9時台だったりするのは、めちゃくちゃ心の余裕につながる。なにより、朝のいちばん新鮮できらきらの陽射しがある時間帯に、ゆったりだらだら過ごせるのは、なんて贅沢なことか!なにか罰のように早起きがあるんじゃなくて、さいしょのご褒美として早起きの時間があるとしたら、そんなに素敵なことはないね、

掃除機をしたあと、なんだか部屋が整然となる感じがすき。

こんなに充実している日ですら、用事と用事の間で走ったり、オンライン授業のさいしょと終わりを電車の中で受けたり、辻褄のあわないところをちょっとずつ詰めながら過ごしている。語学のガイダンスが想像以上に早く終わり、新しい学食をためしたり教科書を買ったりしようとしたが、財布を忘れたのでただ無駄に校舎をうろつくしかなかった。

副科で歌のレッスンをとってみたのだけど、1対1の逃げ場のない感じ、緊張とか照れとか躊躇をすることが逆に失礼になり、ただ、たとえできなくても、「やりなさい」と強制される環境、がすごくよかった。デカくて響く声を出していいんだ、むしろ出さなくちゃいけないのだ、という意識は、なぜか安堵の感情を引き起こした。幼稚園とか小学生とかそれぐらいのときから、ずっと目立たないように注目を浴びないように隠れる仕草がデフォルトになっていた気がして、そういう姿勢は表現にとって邪魔でしかないから、こういう小さな経験を積み重ねることで振り払っていきたい。先生は場の空気を引き締めるきびしさをもちながらも、あたたかく明るい印象だった。何より私は自分の声をすごくコンプレックスに思っているから、発声練習のときに先生が何気なく「いー声してんねっ!」と言ってくれるだけで、とてもとても、救われた気持ちになる。

 

授業をききながら家でパスタを茹でで食べ、電話でLiSAのCDを予約した。こんどは財布を持ってから、展示を見にでかけた。

去年の、ゼミの苦しみ以外の生活の部分が「免許取得とねこ」しかなかったシンプルな日々、あれはあれでよかったが、もうさすがに耐えられないから、「どこにも行かない」以外の方法をちゃんと考えて実践したい。都現美の展示は人気がありそうだから、平日の昼間に見るとか。

ものを見るとき、なにか正解があるような気がしてしまうけど、やっぱり自分の感覚がすべてで、自分の体験ありきで他人の解釈と戦わすべき。

企画展示3つすべてまわったけれど、各作家の制作への態度みたいなものがどれも違っていて、そういう点でもすごく面白かった、すべてを同時に体験することで、その振れ幅ぶんの視野を忘れずにいられた、というか。

ライゾマの展示は、単純に「なんかスゲーーーー!新時代キタ!!て感じする!!!」みたいな頭の悪いワクワクが湧き上がってきて、でもあの感覚をみんな共有している気がする、先生が光るものとデカい音が好きなのも、たんなる趣味趣向というだけじゃなくて、ある程度共有された時代のセンス、ニュアンス、みたいな価値観なのかもしれない。

マーク・マンダースの展示は予想外にいちばんおもしろくて、たいせつな感覚になった。キャプションは難しかったが、物語性を内包した彫刻、物を使って物語を書く、そうすることでフィクションを現実に立ち上げる(物体というのは嘘偽りのない現実だ)、それはさながら建築のような行為でもある、というようなことを言っている気がした。だいたいの作品、ひとめみたときに、ひやり、というか、ぞくっ、というか、心に嫌な感じの衝撃が走る。これはおそらく物語の重みのようなもの。造形作品は物体であって、それは瞬間的に目に入るから、その目に入った瞬間一点のインパクトが、ものすごい破壊力をもって迫ってくる。本来なら演劇や音楽の引き伸ばされた時間の中で得るべきパワーが、一点攻撃で降ってくる、そういう力にいちいちやられて、体力を消費した気がする。

無料でやっていた下道基行さんのアートプロジェクトと風間サチコさんの版画作品の展示も、作家そのもののスタンスや思考を辿れるようなキュレーションになっていたので、めちゃくちゃ得るものがあった、個人的なことばかりだから、きちんと自分だけが見れるところにメモしておく。

 

帰宅前に駅の近くの会費の安いジムに寄って、契約をしてきた。手続きだけでもやたら余分に時間がかかってしまった。スタッフさんはぼうっと仕事をしていて、わたしはずっとかえりたいなーと考えていた。

 

家についてからは、ライブ配信を見ながらすこし酒を飲んだり、LiSAのラジオで新曲をききながらボロボロと泣いたりした。LiSAは本当に、生き様が正直で、偶像を纏ったり職人に徹したりといった逃げ道を作って「自分自身」から降りる、みたいなことを決してしない、だから好き。