情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0407

今日は、起きてすぐ音楽をかけれたのがよかった。ふとんにくるまって本を読んだ。4.5限が対面だから3限を学校で受けようとしていたけど、けっきょく食事をしながら家でゆったりオンライン授業を受けた。食事が苦手ですごくゆっくりだから、ちょっとの量でも4.50分も生活を浸食してくる。きのうもそうだったな、わたしがデザートのアイスを3分の1たべるあいだに、男の子たちはばくばくと大きなかたまりを掘削し、なんでもないことのようにそれを溶かし、あっという間に白いとろとろの水たまりにしてしまった。そのストライドの大きさみたいなのを、いつも、羨むというほどでもなく、ただめずらしく見ている。しかしオンライン授業をききながらのごはんは毎度、美味しくないな。昨日は寒すぎて学校でずっと震えていたからヒートテック着てセーター着て薄手のコートまで羽織って、ひざかけまで持って出たけどぜんぜんぽかぽかあったかかった、いつもミスする!

新しい担当教員の生徒たちがみんな集まる授業に出た。なにもスクリーンに映し出していないときからずっと黒いカーテンを閉ざして真っ暗がりにしていた、悪の秘密結社かなにかみたいに。これはぜったいに、先生が黒い服ばかり着ていることと関係がある。先生は身内ばかりの授業だからかごきげんに小ボケを挟んだりしていて、たのしそうでなによりだった。そんな先生を中心に留学生たちも含めて謎のノリが発生していて、わたしには何が何やらさっぱりわからなかった。いろいろなメディアアートの映像を見せてくれるよいインプットの時間だったのだけど、それをいくつか見るうちに、真っ暗の部屋を好む理由がわかってしまった。たぶん、光るアートが好きだからだ!光らせるためには、暗闇のブラックボックスが必要なんだ、光を素材にしたい人にとって、デフォルトつまり白紙のキャンバスは黒の闇、ということ!

5限の講義は先生のしゃべりかたがゆっくりで、それに乗っかっていると思考が止まりねむってしまいそうだったので、なにか考えるつづけるためにノートをとっていた。みんな平気なかおでパソコンを開きっぱなしにしているけれど、パソコンの画面には思考の動きがリアルタイムに反映されているわけで、わたしにとってはそんなものが見える状態になっているのはすごく恥ずかしく落ち着かないから、いつも画面の明るさを1にしてにして抱え込むように構えて、防衛の姿勢をとってしまう。ノートの中身が見えるようになっている状態そのものが、腹の中を見せていると同じなので、スースーした感覚で居心地が悪い。いや、書き終わったものを見せるのは大丈夫なのに、今現在の思考の過程が見えるのがいやなのかもしれない?わたしはウィンドウが5出るともう頭が混乱してわけがわからなくなるので、しょっちゅうデスクトップを片付けているのだけど、それがまた「見抜かれやすく」なっているようで恥ずかしい、いろんなウィンドウが出ていてPCの画面が汚いことは、思考のパネルを複雑にしてわかりにくくすることに見えるから、ただ自然に思うままにやってそのようになっているひとがまぶしくみえると言ってもさほど大袈裟ではない、

今日はインプットしては頭の中で喋っていることを全部パソコンに打ち込んでログをつける、ばかりやっていて、それだけでなにかひとつ仕事をした気になっている。

本が家に届いているはずなので、ささっと家に帰り、洗濯を回し、いったん腹ごしらえをし、週末の予定を立てたり音楽をきいたり買いたい本や機材やソフトなどあれこれ調べ物をしていたらすぐ夜中になった。腹が減っていると行動がものすごく粗野になる。今はまだ余裕があるのできちんと生活を回せているな、