情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0324

3月締切の作業を進めているか、ツイッターをやっていた。

母が体調を崩したので、わたしが食べ物を買いに行き、早めに風呂に入って寝た方がいいねと言って、暗い部屋のストーブの前で休むのの邪魔になる要因を極力取り除くようにした。同居している人の体調がわるいときは、、声のかけ方とか、ちょっとしたふるまいも気をつかつべきで、なにをしてほしくなくて、どんな環境をのぞんでいるのか、想像するべき、そういうことに最低限のコストを払うべき。父をみていると、基本的な感情としての心配とか、気づかいとか、ようするに人をケアするやり方が、たぶん全然わかんないんだろうなと思う。なにか手伝ったりアクションを起こすようなコストを払うという発想がないし、ただ嘘くさく台詞じみた軽々しい「大丈夫?」を言うことしかできないのは、親にも兄弟にも長男というだけで顔色を窺われケアされ甘やかしてもらってきたからだと想像がつく。そういうふうに(わがままで利己的に)なりたくない、がつねに根底にあり逃げるようにやってきた物心ついたときからずっと!

筋トレをやった。おもに脚と、肩もすこし。行き帰りの車では熱唱しているので、運転がおろそかになっている。結果何事もなくても、おろそかに運転をしたなという身体的な自覚があるのでずっと後味わるい。

女にこだわるのは女をアイデンティティとして意識せざるを得なかったこれまでの道筋があるからだ、ああ寂しいので暴れる女が見たい!わたしの好きな女性のパフォーマーに対して、わたしはかなり「暴れ」を求めて観に行っている側面がある、わたしだって幼児だけどさ守りたい女ばかりじゃなくて連帯する女、一緒にサボったり戦ったり暴れたりブチ切れたりする仲間が、ほしい!