情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0308

起きたら隣にねこが寝てる。これを撫でたり嗅いだりして愛でたいというのは根源的で本能的な欲求で、ねこは他者の愛し方をおしえてくれる。しかしこれってつまり、人体が異種に触れたいと思うようにプログラムされているとしたら?つまり恋愛というのは女体に触れたいという欲望に基づいたものだったりする?他個体に触れたい欲望に対して必ずしもヘテロ的な本質主義を下敷きにしたくはない。女体を持ちながら女体に触れたいと欲望すること?わたしだって決して例外としてではなく、女体をもった個人にふれたいときがある。こういうのだって何もかも母や祖母や友人を通しての子どもの頃の体験にもとづいてるんだろうけど!すてきな結婚したいなんて夢みていられるのも、すてきな父を慕う幼少期の気持ち、それらに対する憧れ、ノスタルジー、がうっすらと、どんな形であれ、下地になっている気がするよ、

今日はめでたく筋肉痛!上半身と内転筋がしんでいる!重いものを持ち上げたせいで軽いものも持ち上げられなくなる身体のバグ。

 車に乗りながら平井堅をきいた。平井堅が好きだ!本当に本当に歌がうまいとはこういうことだなあ。声にいのちを込めるという意味の表現力、プレイのちから、説得力、この声ありきで楽曲全部があるというようなJPOPの特質も込みで、ポップス好きだーと思う。語り手が透明化するんではなくて、ちゃんと見ることのできる形態。

ドコモショップとかイオンに連れ回されながら、ゼミの課題に手を付け始めた。ドコモショップではRally Go Roundが流れていてソワソワした。イオンではタリーズで時間をつぶした。タリーズは蜂蜜がおいしいし、「青いランプの下でお待ちください」と言ってくれるのが好き。

ニューミュージコロジーの思想とか音楽研究にフェミニズム批評を適用する手法を見ていると、既存の西洋音楽の絶対的価値観とか、音楽学の在り方の風習、そこに内在している権力構造とか、を暴いて抗おうとしていて、これぞ、ペンで殴ることだなあと思う。日本人で西洋音楽の研究をすることの違和感とか、女の身をもって音楽を研究しようとすることの困難さとか、今ある音楽学の中で常識ということになっているものたちや語り口への嫌悪感とか、と響き合う思想なので、共鳴しないはずがない。

 

 

えっっなんでそんな酷いことを平気で人に言えるんだろうって、傷つくとか以前に心底不思議でドン引きするような言動をする父親を身近に見てきているから、今更他人に期待して衝突したりしないけど、全然人信じられなくなっちゃったなー、信用しないで心のシャッターを閉じて相手の機嫌がよくなるまで待ってればいいしそうして重ねた不信感を忘れることはない、

人の心を踏みにじって平気な顔してる人間見るたびに、自分は、ずっとずっと優しくなろう、他者への想像力を忘れないようにしよう、と誓いたくなるね 余裕のなさが人を殴っていい理由にはならないので どんなに苦しくとも