情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0306

最近夢を記録するのをさぼっている。毎日のように夢は見るけど、起きた瞬間の一瞬にそれに浸って終わり、もったいない!ちゃんとやれ

めちゃ眠いけど会議だから起きねばならず、とはいえ20分ぐらいで最低限の身支度だけ整えればいいやというモチベーション。とりあえずジェスチャー相槌を打つことと、一回のミーティングあたり一回は、オリジナルな観点からなにかしら意味ある発言をできれば、オッケーということにしている。基本的には心ここに在らず。形骸的な会議はどんどんオンラインになればいいと思うけど、こういう、ちゃんとそこでアイデアを生んで育てていくためにやっている会議は、ぜったいに空間を共有したほうがいい。

わたしの中での自分磨きという言葉は「自分で決めたテーマにフォーカスして精神や肉体を向上させていくこと」の意で使っていたんだけど、よく恋愛市場の場所で言われる「自分磨き」て全然そういう意味ではなくて、食べやすくすること、アイコン化すること、理解しやすい形を演出すること、つまり分析とターゲティングとデザインの部分のことなんだな!自分の語義と社会の語義のズレには自覚的であるほうがいい。

家を片付けて、雑務を済ませて、車で爆睡しながら実家に帰った。

最近よく、ねこに関する新書を読んでいる。ネオテニー幼形成熟について説明している部分で、「動物は家畜化すると脳が縮小する」と書いてあったよ ネオテニー自体が、語りがいのありそうな旨みを含んだワードではある

今日は一週間ぶりにねこと会えるから沢山あそぼう、と思っていたけど、私が入ったあとの湯船にねこが落ちて、からだも部屋の床もカーペットも階段も何もかも水びたしになったので、それどころではなくなった!わたしだけが一部始終を見ていたが、あの水の中でじたばたもがいていたときの顔が完全に画像として脳内に記憶されてしまった、完全にパニック状態だから私がなにか余分なことをして不安因子を増やすわけにもいかず、ただ見ているしかできなかった。気が動転して走り回るねこを見て私も母も決して慌てることはなく、私はねこのあまりの滑稽さと不格好さのかわいさに笑いが止まらなかったんだけど、母はさすがの対応で、ねこの尊厳のために笑ってはいけないしパニックを加速させないために怒ってもいけないし一緒に驚いてもいけないとわかった上で、ひたすら「だいじょうぶだよ」と気を落ち着けることに徹していた。ねこはパニックの時にあったこと、その時におぼえた感覚、をよく記憶して学習してしまうそうだから、できるだけ、最悪だった記憶にならないように、部屋をあったかくして、言葉をかけながらタオルでよく拭いてあげて、おいしいおやつをあげた。