情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0224

ずっと聴いてないのに、やたら頭の中にRADWIMPSが流れる。電車の中で人と待ち合わせをするのは、四方どの方向から来るかわからないから、ちょっと緊張する。

ぽかぽかぬるくてゆるい成田山を散歩した。場所を変えると、記憶をその場所にぎゅっと閉じ込めて保存しておくためのラベルになる。特別な非日常として切り分けていたい。

それから、思い出の駅、思い出の場所を歩き回って、過去を掘り返すようなことをしたけれど、もう今更、最終回みたいではなかった。それでも、あの頃の何もかもに対する思いの強さが、すこし戻ってきた気がする。

帰りの電車で気を失うように寝たら全部夢だったみたいになった。

今日だってなんにも器用にはできなくて、パンケーキを食えば大量にクリームを余らせて最後にクリームだけ掬って貪っていたり、自分が止めた駐車場の場所がわからなくなって真っ暗な路地を彷徨い歩いたり、車の暖房をつけて走ってたつもりが冷房だったりしている。

 

とっておき、と思う人に、もっとちゃんと、とっておきをあげられるようにしたい。まだまだまだ全然!

主客が一体となって融合する瞬間 どっちにふれるか自分で決めていいみたいな、あるいは、日常が他個体の日常にはみ出してごっちゃ混ぜになる瞬間、そういう曖昧さをもとめている、

太陽から顔を背けて首筋でひかりを受ける人間がいる、そういうのはもうポーズとして決まってしまっているから、そう癖、自動化、

わたしはというといまだに、人びとに対して、個人というものを背負って相対する勇気がない。もっと、本当らしく本当のことを言えたらいいのに、そういうことは、嘘の関係性であればあるほどできる?

喋ってることは全部遊戯で、本当のことは別のどこかにあるような心地がするときがある、そういう相手がいる、なんだって言えるシスターフッドの密着感でなくても、それだからとうとい関係性、ということはある

 

好きに人生選べるとしたら、空っぽの、誰でもない「あなた」に対する似たりよったりのラブソングを延々と歌い続ける歌手になりたいな