情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0215

プラスの感情が回復してきた。春が近づいているからかもしれない。

やっぱり、春が来れば、生きててよかったって思えるから。

ずっと、食べている間すらも、曲をつくるかピアノを弾くか歌をうたうかしていた。鍵盤をもっとわたしはやれるはずだ、自画自賛というより、やればもっとできるのにやらないのはただの怠慢で損失で勿体ない、という意識。

それでも、家族にピアノを、特に好きな曲を聞かれることも、風呂場で思い切り歌うことも、作ったものをドライブで友達に共有することも、どうしようもなく恥ずかしい。好きなことすら恥ずかしいと思っている自分がカッコ悪いと思った、というLiSAの言葉を思い出すし、いちいち感情が外に出ることを臆病に思っていてはどうにもやっていけない。言葉は制御が容易だけど音楽はコントロールなんてできやしないから怖い。

 

店員さんになりたい、自分がいつもその瞬間に行くだけの場所に、もともとずっと人がいて迎えているということを本当だと知りたいから。その迎えるがちゃんと来訪者に対して寛容であるということを見届けて安心を得たいから。あんまり理解してもらったことがない 

 

雑誌をみていたら、坂本龍一が「ポップスに転向したのは譜面なんか書きたくなかったからだし、シンセやりだしたのも譜面かかずに自分が弾くだけでいろんな楽器の音が出るからだ、こんなにいいことはない」みたいなことを言っていて、よかった、そうだよねと、妙に安心して笑っちゃった、