情操教育‪α‬

わたしのこと好きな人だけが読んでいい日記帳

0610

結局、一緒に夜明けから昼まで寝た。授業はちょっと諦めて、午後までの課題の提出期限は守った。あっという間に1日終わる。冷蔵庫がほとんど空で、なにも食べる気にならない。パンだけはあるのに、パンのことを信じてないからパンを買ってもいつもパンを余らせてしまう。パンを食べる選択に至るまでのパンへの信頼がない。

ポラリスが降り注ぐ夜」を読み終えた。二丁目が舞台で、短編それぞれの中でいろんなルーツとセクシュアリティの登場人物がクローズアップされている。セクマイのことが語られるときによく出る当事者のあれこれのリアルな感情や状況が、すごい精度と緻密さで描写されているから、これは「入門編」という感じになりうるのではないか、シスヘテロの人々がセクマイ当事者のリアルな心境と現状を追体験し想像する良いきっかけになりそうだ、と思った、実際わたしもトランスのトランスならではの苦悩については、知らない事がたくさんあって、あらゆる問題への考え方、というよりは感じ方がすごく変わった。

それから何より、セクシュアルマイノリティのことを語るとき、なぜ政治や歴史に必ず触れざるを得ないのか、みたいなとこへの気づきがあったのがいちばん大きかった。

一部のフェミニズムのトランスフォビアについてはもっと考えたら詳細にわかりそうだから突き詰めたいところ。

ひとりで酒を飲み、ぐじぐじと考えながら眠る。

0609

ちゃんとしようと思っていたし、朝からきちんとメイクも着替えもしたのに、昼食後に抗えない眠気がやってきて、寝転んでメイクも髪も崩れたし、頭痛もきて結局対面授業に行くのをやめちゃって色々うまくいかなかった。

勿体なさの感情だけでとりあえず家を出てみることにして、靴箱にあった、買ったおぼえも履いたおぼえもない女の子みたいなサンダルを引っ張り出して履いてみたりした。気分はよかったけど、両小指が擦れて腫れたし、その腫れの形にだけはおぼえがあった。

ぬるい夕方の風がすごくよくて、ビールを買ってそのまま短い散歩でもしたい気分だった。でも今日の夜家に友達が来ることに急遽決まったから、なんとなく飲むのは不義理な感じがしてやめておいた。律儀だと思う。

そんなことより、とりあえず化粧下地を買わなくちゃいけなかった。北千住のイセタンミラーみたいなとこの店員のお姉さんたちは、あちらこちら、女性客と女性客の間を不規則に行き来していて、花に止まる蝶のような挙動だった。そのうちのひとりに声をかけて、いまの種類が最善の選択であることを確認して、同じものを買った。

 

ZOCのアルバムが出たのを機に、大森靖子さんのことをすごく考えている。

飼い慣らされない生意気さをパフォーマンスでやれちゃう人についてとか、そうじゃなさについてとか。

大森さんは、過去に対談で「田嶋陽子さんみたいな(存在になる)のは嫌ですよ」と名指しで言ったとかが原因でフェミニストの人との決別があって、著作とかインタビューとか事あるごとにフェミニズムに触れている。好意的ではもちろんない。歌詞の中でも「スニーカー履いて歩く速度合わせなきゃ 自立じゃないとかナメてんの?」とKu tooに関連するような内容を歌わせていたり、「フェミっぽい癖にこっち全否定 女の子じゃなくて自分じゃん 苦労してない顔面にわかるわけない乙女心」と歌わせていたり、後者に関してはわりと直球で、文脈がもし本当にそうならアウトになるようなことも言っていたりして、だから考えることがたくさんある。でもその後に「私を見て 彼氏のスペックで決めないで私評価して」と続けているのは、要するにそういう形での女の子の自立、強い女の子、女の子なりの勝ち方、を提示したいというあからさまな宣言にも見える。

個の描写と肯定をずーっとやってきた人だから「主語がデカい」的なことと美学が反していることもよくわかってるし、自分もそこに救われてきたわけだし、かといってそれが運動をやっている人を否定していい理由には全然ならないんだけど、それはもう過去に決裂があって敵になっちゃったからということもわかっているし、みたいないろいろなこと、ちゃんと丁寧にまとめたい。

 

家に友達が来て、制作に協力するということで着物の写真を撮った。うちの部屋はでこぼこしているから、それがちょうど背景の布地を貼るところになった。

そのあとは酒を飲んで、夜明けまで喋った。ドライフルーツとチーズと柿の種のつまみを貪り、酒の後に気付いたらペットボトルの茶を2本飲んでいたから、翌日に響きはしなかった。

毎日メイクしたり、髪整えたり、マニキュア塗ったり、何を着るかにこだわったり、そういうことから作品の題材を見つけてしまうけど、だってそりゃ当然、その時間少しくらい報われたいよねえ!と叫んだのがやけに印象に残っている。

それから、あざとさという武器についての話も。

 

フェミニストは恋愛をしない」「フェミニズムは美や恋愛を否定する」「フェミニストはブスでモテないババアだ」は絶対に間違っているけど、「フェミニズムに逆光するやり方を採用することで恋愛や人生を謳歌する女性」はものすごく沢山いる、ということ。だから、極力、そのことで現に苦しんでるわけじゃない友だちにフェミニズムの話をするべきではない、してはいけない、みたいな気持ちがあるんだよな

大森靖子のことも、友だちの話も、最近読んでる彼女の沈清も、ぜんぶがいっしょくたになって、そういうことを考える

 

0608

ミーティングをして、対面のゼミに出た。対面は良かった。ゼミのあとにメンバー全員で集まってそれぞれに話をして、アフターの時間をやって、どちらかというとそこで得ることの方が多くあり、最後には同期たちとサイゼに行った。することがなかったし、やけに間違い探しを頑張った。酒もないし健全な時間に店から追い出され、つまんないから筋トレして帰った。

0607

夏日だった。

ひさびさに会った先輩と立ち話していたら授業に遅刻したけど、遅刻しないことよりも話ができたことのほうが絶対によかった。

授業でアクションの振りを考える人がきて、ワークショップをやった。この前みた映画を思い出す。

とりあえず教わったとおりにはちゃめちゃに動いて、たたかいのアクションはとにかく相手がいないとできないので、人にちゃんと曝け出さなければならず、下手くそで不格好ながら夢中でやっていたら、それをやっているときの独特の体感時間みたいなもの、浮遊した時間みたいなものを体験して、「それが、意識がひらかれるということです」と言われて、とても腑に落ちた。

ひらかれた意識の状態になること、全然ない。会話とかでもそういう種類のは苦手で、お互いの閉じた星と星の間に橋をわたすような、とか、はしごをかけるような、とか、手紙を包んで伝書鳩で届け合うみたいなそういう感じの会話ばかりしている。

たとえば演奏をしているときは、特に本番に人前で弾くときは、そういう意識の状態になっているような気もする。

「意識をひらくためには、マイタイムを作らないこと」とも言っていて、マイタイム!私がずっとそれの中にいたくて、少しでもその外にはみ出すと不安になってしまうあれのことだわ!と思って、感銘を受けた。

マイタイムを作らず意識を開かなきゃ表現ができないし、意識をひらくのはチャレンジングでスリリングで腹が痛くなるような嫌な感じだけど、後から振り返ってみるとなんとも表現できない楽しさがあるということ、が気づきだった。

ビールのみながらピアノ弾いて1日を終わらせた。

0606

概ね猫とゆっくり過ごしておしまいになった。

テスト期間中の弟が「受験のための勉強もテストのための暗記も本当の勉強じゃない、数学の証明を考えているときのような種類の思考こそが本当の勉強だ」みたいなことを言い始めて、自分の高校時代とまったく同じだ。

地元の空気の匂いとかを嗅ぐだけで、なにかの扉が開いて自分の感覚がなにか外的なものと繋がったような感覚を得る。優しさに包まれたらの感覚のこと。

ひらき、さとり、いのりの感じが久々に戻ってきた気がして、ここ最近でいちばんの収穫。

自分で運転させてもらって東京に戻ってきた。同伴は父なので、好き勝手にLiSAのアルバムを高速道路で流したり、首都高でピチカートファイブ流したりできた。運転のときの、フォーカスの意識みたいなやつ、頭と心を癒す。

帰宅してからだらだらの時間になり、真夜中までインスタライブ やツイッターのスペースを聞きながら進まない作業をやり続けた。人の声を聞きたいのかもしれない。

0605

ミーティングがあったので早起きした。実家には下着も寝間着も服も適当なものしかない。

実家はやけに静かだった。昼は鳥の声、夜は蛙の声だけが主に聞こえて、空気がしっとりしていて、ゆたかに土と葉のにおいがして、やけに景観がひらけていて、見渡す限り濃い緑色で、猫が居眠りしている。この、遠くにいる、社会の中心から隔たっている、みたいな肌感覚が、焦燥感と窮屈さに結びついて、高校時代と去年実家に閉じ込められていた半年間の嫌な気持ちを丸ごとそのまま思い出す。中学生の時なんかは、もっと家の中に人がいたし、忙しくしていたからまだ良かった。今はただなんとなく午後を持て余している。絶対に主婦をしたくないな。

クーラーがついているから、夏休みのことを思い出す。夏休み、これもまたとても窮屈。近くにあまり友達の家がなかったし、ピアノのレッスンに行ったり部活に行ったり夏季講習に行ったりする以外には、おもに弟とずっと家にいたような記憶。どうしようもなく行き場もなく他になんの選択肢も知らなかったあれは閉塞感に満ちていて、そうとも知らず閉じ込められている心地だった。冷房のついた水色の空気、フローリングのつめたさ、冷蔵庫、麦茶とアクリルのコップ、西日の眩しさ、夏休みのしおり、夜更かし、そういうものがすべて蘇ってしまってそわそわする。もう自由を知ってしまったから、ただそこから強制的に引き離されているという気分で、とても寂しい。

ピアノを弾きたいのに、リビングにピアノがあるせいで、それを鳴らせば空間をものすごく支配してしまうから、心地よくそこらへんで過ごしている猫や弟に遠慮して今日もさわれなかった。

テスト前の弟が教科書をそこらじゅうに広げていた。コンピュータアーキテクチャ、情報数学、ネットワーク演習?とか聞いたこともない教科の目次を眺めるのは楽しかった。IPアドレスの項目は、昨日のライブエレクトロニクスの授業と少し関わりがあった。

とにかくずっと眠いし、低すぎるローテーブルか高すぎるダイニングテーブルしかここにはないからあまり作業能率はよくない。

早くからハイボールを飲んで、LiSAの録画してもらっていたテレビを見て、ちぐはぐな身体を読み終えて、皿洗いをするころにはすっかり酔いが覚めたので、課題をいくつか進めた。

こうして保温していた米がどんどん食べれなくなっていくみたいに、徐々に?それだったらいっそ、何かを決定的に間違えたい。

0604

1限の始まるより1時間は早く起きて支度をするはずだったけど、結局覚醒したまま横になっている時間が長かったせいで、授業に出ながらがっつり支度しなくちゃいけなかった。湿気で髪がまとまらないのに、途中でMaxパッチをいじったりするから全然進まない。でも先週みたいに布団の中で目をつぶりながら受けるよりはずっと理解できた。

 

友だちと映画を見る、をした。エンタメ娯楽映画なので人と見るのがいちばん。席はひとつおきだったし、だからポップコーンをシェアしたりもできない。

戦う女も強い女も好きだしお笑いも好きだけど、あらゆる要素が微妙に配合されて絶妙に許せない最悪の感じだった。そりゃあいつでもフェミニズムシスターフッドを求めているわけではないのだけど、価値観に耐えがたい、という状態はある。それも、よく知っている味だったから。決してなにも脅かすことも破壊することもなく、檻の中で内輪でたたかう女たちはカッコよくなくて滑稽にうつされていて、なんの矜恃を背負うでもない。このシチュエーションでこの社会に向かって言われる「普通のOLでいたかった!余計なことして巻き込むな!」は意図してなのか意図せずなのか特別な意味をもってしまう。だからもう、主役ふたりの百合として見るしか楽しみ方がなかったのだけど、最後に急に男が出てきてふたりの間を決定的な対立関係に帰して終わり、それが最悪だった。どうせなら下妻物語とかで笑いたいなと思った。

でも、見に行ったことそれ自体は、とてもうれしかったのだ、

それに、何も感じないよりは文句をたくさん感じる方がたのしい。感性の輪郭を確認できるということだから。

 

ずっと雨が降っていた。

たくさん移動をしたけど、基本的には地下の、狭くてじめじめしたところにいた。雨をしのぐシェルター、

 

電車に乗ってから行き先を決めて、適当に降りて何もせず歩く。いろんな景色といっしょに話題が保存されて、路線図に足跡がついて、これといったハイライトはないのがすてき。ぜんぜんお金を使ってないのにたのしい。

 

街が20時で終了するから、なにもできることがなくなって、初めて人を新居にあげた。

通学電車の逆に乗って千葉までかえる。千葉で人とお別れするのは毎度さみしい。おそらく駅がごちゃついていないから、寂しさを煽る。

 

千葉から出る終電に久々に乗って実家の最寄りまで帰ってきた。あまりにも車両がスカスカで寂しいのと、だるくて重たい眠気とを紛らわせなくちゃいけなかったから、「ちぐはぐな身体」の再読を進めた。50分もあるから、読書するにはめちゃくちゃいい環境だった。

高校時代ってわりとここの行き帰りの時間が生活のすべてで、ここでいつも図書館の本を読んだり小テストの勉強をしたり音楽を聴いて死にそうなメンタルをなんとかしたりアイフォンに高速フリックで文章書いてあの憂鬱をやり過ごしたり50分まるまるたっぷり寝て吐きそうなほどの眠気とストレスを辛うじて人と喋れる程度に回復させたり、そうやって過ごしていたんだよな。あんまり楽しかったおぼえはない。なんかずっとひとりで戦っているような気分で、いくら手を伸ばしても誰にも交わらず、命がけで何かをブチ破った感触のある一瞬だけが、きらきらしていて、もうそのきらきらにはおそらく届かない。

 

ちぐはぐな身体、自分の中で常識になっていたことが沢山かいてあった。いかに自分が、ちぐはぐな身体を常識にしていたか!

校則からの逸脱のスタイル、ヤンキーの気崩し、をやたら説明する章を読んでいたから、さっきの映画の中のファッションを思い出していた。

 

駅に車を置いといてもらって、誰もいない道を運転して帰った。自分以外に車の通らない暗くて狭い夜道をゆっくり走行しているとき、いつもディズニーランドの白雪姫のトロッコみたいなやつを思い出す。わたしはまだお化けとかを怖がる気持ちがけっこうあるから、大きな声で歌いながら運転する。同じ歌を3回歌ってしまったから、なにか呪いとか願いが宿っていそうでそれも怖い。

 

今日はひとつ夢が叶ったのに、君に会うとまたひとつ夢が増えてしまう、いい歌詞すぎるな。

 

帰宅したらねこがギョッとした顔で一度こちらを見て、しきりにリュックや服の匂いを嗅ぎ回った後、ニャーーーと鳴いてそこらじゅうにスリスリしながら近寄ってきて、心のむすびつくのを感じた。

 

好き!!!!とほとんど本能的に、ものすごい速度と強さで感じるとき、いつもいつもどうしてあんなにいい匂いがするんだろう、つくづく。