情操教育‪α‬

忘却炉に送るまえに

0603

朝、カーテンを閉めっぱなしにしているとそれだけでいけない。今日は起きた時比較的からだがあったかくて、養命酒のおかげなのかさっぱりしていて、とにかくカーテンと窓を開けて朝の光を浴びながら水を飲むことに成功した。顔を洗ってメイクを半分くらいして朝ごはんをつくってから授業に出ることもできて、朝がちゃんとあるのはすごくいいことだった。

よく声が出た。

たくさん歌って、手を動かして、飽きたら次のプロジェクトをひらいて、体も動かして、そういう感じで過ごした。だから何も考えていない。 

0602

7時間眠っているのに頭が重たい。気に掛かることがあっても、抱えきれない、こぼれおちてしまう、おいつかない、手放してしまう、そういう感覚がある。

朝と呼べる時間に久々に起きて、たっぷり朝食をとったり、昼の料理番組をみたりして、生活を回していくことについて考えた。

食事をしっかりとって生活をまわしていくということと、その象徴的な動作としての料理と、物語の中の女性と、の結びつきと関わりは、たんに性役割のだけではない。

「女性の生活のすべては身体のリズムに左右されており、地から足を離すことができない、その点男性の軽やかさといったら!意のままに、突然、どこにだって行けそうに思える」そういうことを言っていた女性の物書きの言葉がなかなか忘れられない。

 

お通じ、という言葉を気に入った。排便が、身体の通りを意味するのはわかりやすい。

なにも食べたくない、なにも通したくないという種類の潔癖がある。

 

徹夜や夜更かしをしすぎると、夜中が夜中ではなくなってしまう。夜中を価値あるままにしておくためには、夜中を見ずに眠る日が多くなければならない。

 

今日は女装をしている。白いレースのトップスとかピンクのアイシャドウがマインドに馴染まなくて不機嫌。スカートもインナーもラベンダー色だが、ラベンダーはバイセクシャルの色だと昨日知ったな、これはなんの表明でもない。

かわいい顔に生まれてしまった女の子は、周囲の誰にも可愛い女の子になることを望まれる、その容易い道に誘導される、女の子として期待されなかったからこそ女から脱出する手立てを得られる、ということも、ある?

 

声がでかい人を信用しない。わたしは男性に対するフェティッシュな欲望が希薄なほうだとおもうけれど、ひとつだけずっといいなと思っているのが、「本が好きそうな声の男性」というやつ。たぶん誰にも伝わらないだろうが、「本が好きそうな声の男性」と私が名付けているタイプの声の男性は、何人か、私の近くや遠くにいる。これは本人が実際に本が好きかどうかとは関わりがない、その声を聞くと、なんとなく本が好きそうだなと連想するのだ、

 

キッチンを読んでいる。

女性的すぎる、女性的とはこのようなものであると巷で言われているような種類の繊細さ、感性、ロマンティシズム、に貫かれていて、居た堪れない気持ちになった。

わたしは大切な人を亡くしたことがまだない。だから、私の寂しさも絶望も聖域もアイデンティティもなにもかも、誰かの死に由来するものではない。それで同一化することができない。

思いの強まったとき、奇跡めいたロマンチックな超常現象が起こる、ありふれた心やさしく悲しげな男の子が王子様として物語のもう片翼にいる、そういう点が少女漫画っぽい。少女漫画だから耐えがたい。これは私の側の欠陥による。

死ぬこと、というのは、もう何度日が登って沈んで、何度食事をして、ようするに日常が続いていっても、そこにその人がもう永久にない、ということ。その絶望!揺るぎない確固とした規則的なリズムを持った「日常」があるからこそ、死という非常事態の絶望が際立つのだ、それで、日常の起点となるキッチン、が舞台に選ばれるのは必然、という気がする。

 

祈りの瞬間について考える。監督者、批判者、観察者、探索者、がつよすぎる。彼らは祈ることからとても遠い。もっと祈らなくちゃならない。

0601

生活の帳尻を合わせる。

5月の後半〜6月にかけて会う予定だった人々が、就活、出願、通院などでことごとく延期になっている、わたしもがんばらなくちゃいけないな6月!

 

前のゼミでは、それなりに自分が音楽を論じることについて、こだわりや思うところがあったからこそ、イデオロギーと感情と歴史との板挟みになってうまく動けなくなってしまったように思う。今は逆に、工作やその延長線上の制作、技術ありきの作品制作、に関してまったく自分が専門外であるという意識があるから、基本的に観察者のポジションでいられるし、その上で自分がなんとか取り入る隙を見つけてやっていくこともできる。

人がやっていること、その思考法、アプローチの仕方、好ましいとされる作風、などに対して「変わっているな〜、こういう人たちもいるんだ」と毎度おもっている。それぐらいのほうが居心地がいい。

私は本来、自動車整備工場の娘だから、機械を相手にして毎日イレギュラーと戦いながら仕事をしている人が身近にいるわけで、工具や大きな機械を目にしたり触れたりする機会も多いわけで、やろうと思えばそういうことに手出しできる可能性もあったわけだけど、逆にそうはならなかった。むしろ父がなんでもできてしまうので、夏休みの工作などすら頼りきりで、自分の頭で考えてやる必要が一切なかった。工具は父のものであって、たとえ自分の近くにあっても自分が触らないと決まっているものだ、と思っていたからこそ、物心ついたときには「自分から遠いもの」とはっきり位置付けてしまっていた。

田舎の古い価値観の家だから、後継は可能性があるとしても弟のほうだと決まっていたし、だから私はいいとこに嫁に行けるようにとピアノを習わされたりして「いいお嬢さん」になるように守られ育てられていて、だから過保護に扱われて、工場をうろつけば汚いから行っちゃダメ、工具を触ろうもんなら危ないからダメ、と言われてきた。そういうふうに扱われることも嫌だったし、それだからそういう経験しかできなかったことも今となってはかなり嫌だが、しょうがない。結果的に「田舎の古い価値観の中にいる」ことしかできなかった。

 

Qoo10のメガ割がはじまった。コスメを買うのがすごく苦手。本とかだったらわりと惜しみなくバンバンお金を使えるのに、同じ額の服や靴やコスメはびくびくして買えない。こんな華美なもの、贅沢品、装飾品、非本質的でないもの、にお金を使ってしまってごめんなさい、という気持ちと、いや十分にお洒落は自己投資なのだ、むしろ研究対象として向き合うべきだ、そのための費用は必要経費のうちだし、そもそも私が女体を持ちながら社会から阻害されずに過ごすためには綺麗にならなくてはいけないのだから、金をいくらかけてもかけすぎないくらいなのだ、という強迫めいた焦燥と、その狭間で葛藤する。

 

6月はPride Monthだから、いつもよりレインボーについて考えている。

わたしはレインボーを掲げるパワーに満ちたキラキラの運動すべてに馴染めなくて、それはたぶん、なんとか偽りながらもどうにか社会と適合してゆけてしまうからで、それがゆえに愛も恋も性も何もかも秘密で個人的であればいいと思ってしまうからで。もちろん、運動として主張していく意味もそうやって「あること」にしていく意義も連帯を表現する姿勢としてのアイコンの役割も、よくわかる。だからこそ自分がそこにいられないという感覚。

ただ「フラッグを掲げる」の概念についてもLiSAが教えてくれたからわかるようになった。りとるでびるぱれーどのあたりで「好きを胸張って掲げる」の概念が提示されていて、そういうことを歌っていたし、その象徴としてやんちゃな柄のフラッグをLiSAも掲げていた。わたしはいつもいちばん好きなものを誰にも言わずに隠すしひとりきりのところで濃く濃く愛の湿度を高めようとしちゃうし、勇気がないし羞恥だけはめちゃくちゃあるからそういうやり方しかできなかったけど、あのときに初めて、掲げる行為、表明、連帯、の意味を知ったのだった?

 

わたしの母は、マネージャーとか秘書とか妻とかそういう類のサポートの役がうますぎるから、母に支えられる局面があるたびに、こういう存在の妻を欲する男性の気持ちがわかってしまう。わたしに絶対的に向いてない仕事。妻が欲しいとこぼしてしまう可能性があり得たなと思いながらなんとなく踏みとどまる。

0531

調子いい。天気のせい?

 

対面授業で宝塚の人がきて、ラインダンスをおしえてくれた。古風な「踊り子」っぽい動作、昔の映像でしか見たことのないようなそれを、自分の身体で実践するのは妙に可笑しくて楽しかった。ダンス・踊りは基本的に滑稽なものだ。その踊りがされていた時代や地域が、自分の生きているそれと一致している場合は、その価値観の中に認知が埋没しきっているから気がつかないだけで、距離をとってみるとどれもヘンテコに見えてくるはず。それは衣服とかファッションもそう。人間の自然状態に反しているから、社会的な学習がないと、それを「そういうもの」としては認識できない。「そういうもの」として認識しない場合、そこにあるのは違和感のみなので、笑いしか引き起こされない。

ラインダンスやその前後の一連の流れ、細かい所作、だって、動き自体は滑稽で面白いものなのだけど、きっと銀橋でプロの女の子たちが並んでするそれを見れば、その滑稽さを越えた圧巻、の気持ちになるだろう。ディズニーランドのダンサーやマーチングに対してもいつも同じことを思う。その動作を徹底的にやり抜いているから、可笑しさを越えた圧倒がうまれる、これのことこそ「パフォーマンス力」なのだなあ、と今のところ私は理解している。

踊りのパフォーマンス力が高まった状態、というのは、ようするに「動きのひとつひとつの意味が強まった状態」なのではないか?

私自身がよく、踊らなければならなくなったとき、「その動きをやった意味」を薄めようとして、人間の日常動作、非意図的動作、に近づけようとしてしまいがちだからこそ、こういうことを思う。たぶん自分の身体が強いメッセージ性を持ってしまう状態が怖いのだ、その他者の視線とそこから引き出される意図について、引き受ける自信がないから。

こういう雑念を排して、身体のメッセージ出力を最大限に引き出し、エネルギーとかパワーとかオーラを放つ、ということが舞台の上でできる人のことは、本当にすごいなあ、と思う、その概念自体に、惚れているところがある。

 

授業の終わりに、宝塚の厳しい決まりや徹底管理された組織のありかたについて話してくれるタイムがあった。よく聞く「宝塚音楽学校のぼやき」の類のあれ。そこには、「昔は大変だったものだわ」という郷愁のニュアンスと、全てが過去になってしまったからこそ完全な笑い話として語ることのできる余裕と、自分がそこの一部であるのだということへの誇りや恩や感謝、がすべてある、そういう語り口だった。

わたしは個人的にはああいうコミュニティのありかたがとても嫌いだ、閉じた世界の中でなんでもまかり通ってしまう感じ。特に今日の先生は世代の違いもかなりあるから、昔の踊り子の女の子たちが完全にただ商品として扱われ、管理され、良い待遇も悪い待遇もそれはすべて商品としての運命の中にあるもので、という価値観が巧妙に隠されてすらいない、という状態がありありと想像できてしまって、げんなりした納得、の気持ちが湧き上がった。それが不幸せということでは決してないし、彼女たち自身がそれを容認してそこに入っているわけだし、それでなくては得られなかったものがある、ということは全部わかっているけど、少なくとも、求められているリアクション(なごやかに聞く、くろう話として笑う、など)が自然にできる感じの心境ではなかった。しかし未婚女性じゃなければ商品にはならない、というのは面白い。面白いというのはたいてい、「そこを観察して何某かのことが言える」という意味で。

 

最近は授業をやるだけで精一杯になって、リマインダーの中のタスクを全然消化できない、これを気にしているので、駅から自宅に歩いて帰る間に、「今日はできるかな、できないかな」と運だめしのような心地でいる。こういうときに、自分のことを信じる、たよりにする、という発想が役立つのだろうな。

 

わたしが3歳にならないぐらいの頃、祖母とふたりで本屋に行って、帰りのバスが間に合わなそう、ということになったとき、「諦めるの?」と言われたから、一緒に走って間に合ったんだよ、という話を最近きいて、それ以来そいつがよく心の中にあらわれる。その時の記憶はもちろん私にはないし、だから当然それについて思いを馳せることはなかったけど、たしかにずっと私の中にそいつのマインドは生きていた。体調が悪くて小学校を休みたかったときも、ピアノをやめたくなったときも、今回ばかりは間に合わないと定期テストの勉強をやめたくなったときも、重大な過ちについて友達に打ち明けて謝らなければいけないときも、ずっと心の中に「諦めるの?」のガキがいる。

 

日記を毎日かいている。

日々の実践と経験の中には気づきや身体感覚がたくさん散らばっていて、それはググってもわからないことだから、ひとつも落としたり忘れたりしたくない。

小論文を書く訓練をしたせいで文章が不必要に硬いのがいつも気になっている。

でも書かなきゃいけない、そのことを思うとき、プレシャスって映画の先生のことを思い出す。過酷な家庭環境を生き抜く生徒に対して、その美しい先生が、ただひたすら「書きなさい」と教えていたから。どういう文脈なのか、なぜ「書きなさい」というのかその時はまったくわからなかったけど、今は、書いているからなんとなくわかる気がする。

0530

女性らしさの語法による異性愛小説を読むと、しんどい気持ちになるのは「どちら」のせいなのかわからない。少なくとも電車の中とか、要するに人前で読むもんじゃない。似合いすぎてしまったら困るから。

とにかくこの、にっちもっさっちもいかない状況を変えるために人と会うことにした。気軽さを演出するのが本当に苦手だ、つねに遠さがある、空気の塊が挟まる。そこに生じる違和感がこうして大人になると「はーなんかお洒落ですね」という言葉に変換されるのだということを知った。

恋愛をするにあたって、自分もまた「選ぶ立場」にあるという当たり前のことが全然受け入れられない。そういうマインドがぜんぜんない、ということに気づかされてしまって凹んだ。

すごすご帰ろうにも耐えられなかったので、初めての街に行った。

場があって、酒と喋りを提供して、それを求めて人が集まって、コミュニティができて、という構造があるのだということを理解した。

その街では、セックスもジェンダーもアクセサリーのようになっている!つまり、隠す必要がなく表に出ていて、各々がきちんと選んでプロデュースしたものを誇示していて、しかし本質ではなくあくまでも装飾で、装飾であるからには煌びやかで、かつカジュアルでもある。これは新鮮で、私にとっても居心地のいい空気だった。

それから、「そういう人」として存在することができること、そういう話を誰かに大っぴらにできること、による息のしやすさはある。透明化されず周縁化されず、きちんと存在することができる。「ないことにしている感情」をだれかに話して「ある感情」にすることができる。これは自己肯定を復活させる容易い手段だ。

とにかく人と会う、飽きもせず人と喋りまくる、というのはすっきりして気持ちがよく、案外、蓄積していく疲労の感はない。ただこうしてぐじぐじひとりで文字にしたりして内省する時間もなかったら死んでしまう。

「いい子でいる必要のない街」と店子さんが言っていた。

悪友、みたいなのって自分にはあんまりいなかったので、愉快な人々のところにまた行く機会があれば、それはいいかもしれない。

どこにいたって完璧に居心地が良い、安住できる、ということは私には一度もなかったのだから、今回だってそうだし、だけどだからこそ、あらゆる可能性の面々を切り取って、それをキメラのように複合して、自己と居場所をかたちづくってゆくしかない。

近からず遠からず、の予感のする岩をたくさん拾って積み上げて、そこにオリジナルの形ができることを期待して!

そのうえでやっぱり私はもう、もはや善い女の子にはなれそうにないので、多少悪いことをしてでも、どこまでも行くしかないのだ、

とりあえず状況が前進した。これでまた、本業を頑張ろうと思う。

0529

高校卒業後の春休み以来、一度も会っていなかった友達に会った。

クラスがずっと一緒だったし貴重な仲良しのひとりだったのに、浪人の時期があったから、なんとなく連絡せずにいるうちにだらだら2年経っていた。それが突然、「今週会おう」ということになった。女友達に会うというのは、私の生活の中の欠かしてはいけない贅沢のひとつでもあり、だいじな実践のひとつでもあり!

むかしから、防御とか無しで安息の気持ちで一緒に過ごせる感じの人だったから、ひさびさに会っても緊張とかぎこちなさとかはまったくなかった。寛容で優しくて心根が善で、よく笑い相手をきづかうユーモアがあり、ほんとうになにひとつ変わっていなかった。

こっちに来てくれていたから、大学付近の街をうろついて、行ってみたかったごはん屋さんに一緒にきてもらって、真夏日だったから川沿いですこし酒を飲んだ。そのまま5時間川にいて、空が青からピンクと水色になり、オレンジになり、淡いレインボーになり、やがて黒くなるまで眺めながら、ずっと喋った。虹の広場という名前のついたエリアで、トイレがあるのがよかった。水は徐々に満ちてゆき、水面は時間とともに高くなった。流木が流れてきたりもした。水が揺れるのに視線をやりながら、ひたすら喋った。川も空も、時間が流れるのだということをつねに表象していて、そのモチーフが絶えずわたしたちのそばにある、ということがすごくよかった。

鳩が川の水を飲んだり、魚が急にものすごい跳ねたり、唐突にお兄さんが滑って転んだりしたのがいちいち、やけに面白かった。大きな声で笑い騒いだのは、多少は酒のせいもあるのか、もともとこんなんだったか、もう覚えてないし判断もできないな、ということを考えていた。

それぞれの、別々で過ごしていた頃の話、それぞれのいる社会の話、共通の友達の話、過去の思い出の話、いくらでも話すことはあって、それでもかなり話だけに集中することができたから、喋り尽くした、というここちよい疲労と満足感のなかで帰ることができた。

「こういう話はあなたにしかできない/あなただからしている」と言ってもらえるのが本当に嬉しくて、わたしもそういうことを大事にしている。あなただからできる話、ここの関係だからこそ言えること、そのそれぞれ!私が人を湿度で測っているところがあるからか、いつもは明るくやっている友達が私の前では湿っぽさや真面目さを解放してくれるという状況がわりとあって、嬉しい。そういうふうにしかできなくなってきている。わたしがそういうところを素敵に思っているから、とか、考えを喋りあえることが友達関係の最も大事なことと思っているから、とかそういうことかもしれませんが

0528

莫大な眠りを必要としている。生理前でもないのになんで?ずっと会ってない今後も会いそうにない人と、50匹ぐらいの蝸牛と、「ない記憶」の思い出話をする夢をみた。

大学のホールを借り、留学生の院生ふたりに手伝ってもらって自動演奏ピアノの接続と試作をした。私にしてはちゃんと準備と段取りを頑張ろうと試みたほうだと思う。とはいえ私なので、今日に照準を合わせられず予測や対策が全然できてなくて、どうしてこんなに詰めが甘いのか~。

研究室のTAさんは、声が大きくてよく笑い、歩くのが速くて快活な明るい女性で、そのエネルギーに圧倒された。わたしが緊張していても、PCの不具合でインストールがうまくいかなくても、やさしい爆笑で笑い飛ばしてくれるのでありがたかった。

彼女らがどんなふうに生活しなぜコンピュータ音楽なんかをやっていてどんなふうに制作の時間をつくっているか?が想像もつかなくて、つねにそういう興味を持って観察している。直接不躾なことはきかない。

MIDIピアノに自分のつくった音源を演奏させてみたときの、初手の衝撃、ひさびさに楽しい!!!とわくわくの気分になった。3時間半ぐらいひとりでやっていて、気づきやインスピレーションの気配はあるがとりあえず疲れて腹が減ってしょうがないので帰る。得たものはあったと思う。

 

「ものを作るのが好き」のタイプの人がうらやましい。たぶんそういう人は「制作」を生活の中のどこに組み込めばいいのか?とかで悩んだりしない。

工作はずっと苦手だったし、それに類することは今も昔も「時間がもったいない」「面倒くさい」「やる意味がない」と思ってしまう。そういう自発的なものづくりこそが創造性なのに!でも創造的に生きるって疲れないのかな、

レジャー先の~作り体験とかも「せっかくの時間が勿体ない」という理由で尽く参加せずにきたもんな、価値観が露呈している。

そういうことをやっていきたい、思えば絵を描くのはずっと苦手だったけど、小さい花の絵で自由帳をの1ページを埋め尽くすのはやったことがある、あのちまちました作業の脳停止感も、終わったあと紙が満たされている達成感も楽しかった。

まずは疲れずに始められそうな、要するに単純作業の繰り返しとか、「作業」の集積がモノになるたぐいの、決断を頻繁に行わなくていい、タイプの制作のフォーマットを見つけて、それによって制作時間を生活に組み込ませたい。そのフォーマットがわからない、塗り絵とか?刺繍とか手仕事のたぐい?

大阪で仲良くなったおじいさんから手紙が届いて、「このまま一生を終えるのはむなしいから、貼り絵で世界の国旗ぜんぶを作ることにした」と書いてあった。いくつになっても、そうやって自分の目標とそれをやる意味を自分で設定して、そこに向かって時間と労力を費やしていける、というのはすごくかっこいいことだ。むしろ私もそういう意味の「制作」をやるべきなのだ、わたしもなにか自分のゴールを見つけなくちゃいけない、それはなにかの役に立つことではダメで、もっとクリエイティブな動機にもとづくもの。

 

「準備」が苦手なのやめたいな、なんでも準備にかかる時間をちゃんと見積もりたいし、準備をせずに臨むということがないようにしたい。朝ごはんでもそれを作る時間でもなんでも。制作ができないのもたぶんそこと関係しているので